羽田空港に着いたとき、一緒の飛行機に乗っていた同僚が、「彼女が迎えにきているから」と言ってさっと立ち去ったのをみて、「私には迎えにきてくれる人も待っていてくれる人もいない……」としみじみしてしまった。
最後に誰かが迎えにきてくれたのはいつだったか。
誰かを待ってドキドキしたり切なくなったりしたのはいつだったか。

「誰かを待つ気持ち」に触れたくて、「源氏物語」に手を伸ばした

私はコロナの流行が始まりかけていた2年前の春に就職し、地方へ配属された。
良くも悪くもそれまでの人間関係は整理され、いよいよひとりの時間がたっぷり取れるように。もともと読書が好きな私は近くに書店がないため、ひたすらAmazonにおすすめされるがまま本を買い読み漁っていた。
そんなある日、Amazonのおすすめリストに、新訳『源氏物語』の箱入り3巻セットが表示された。角田光代さんが訳した新訳の源氏物語が、パステルピンクの可愛らしい箱におさめられている。
ただ自分の本棚に並べたいという気持ちだけでカートに追加していた。届いてからは満足してしまいそのまま1年、忘れ去られていた。
羽田の一件があってから、私は「誰かを待つ気持ち」に触れたくて、「源氏物語」に手を伸ばした。結果的に、この物語自体が私のひとり時間のお供になったのだが……。

光源氏が来るのを待ち、自分が幸せになるために悩み、生きる女たち

源氏物語は授業で取り上げられていたいくつかの帖については知っていたが、初めから順番に読んだことはなかった。
端的に言えば、容姿端麗で頭脳明晰な光源氏が数多の女性を口説き落とし、関係をもつ話なのであるが、そこに出てくる女性は実に様々なタイプがいて、あらゆる恋愛ストーリーの片鱗が散らばっている。
光源氏は現実離れして完璧な男なのだが、それでも拒む女はいるし、現世を捨てて出家してしまう女もいる。周りからは完全にオールドミス扱いされようとも、くじけない女もいる。
もし受け入れたとしても、その後一生面倒を見てくれるかもわからず、次にいつくるかもわからない男を待ち続ける日々。
千年前から読み継がれている物語にこんなにも様々なタイプの女性が出てきて、選ばれようが選ばれまいが、自分が幸せになるために日々を過ごし、悩みながら生きている。
彼女たちは光源氏がくるのを待ちながら、どうやってひとりの時間を過ごしていたのだろうか。
来るかわからない誰かを待ちながら過ごすひとりの時間は、来るかもしれないというそわそわした嬉しい気持ちと、来ないかもしれないという切ない気持ち、そのどちらも抱えることになる。そういう気持ちたちに、なんとか折り合いをつけていたに違いない。

千年以上前のひとりで待つ女たちの物語は、私のひとり時間の味方

来るかわからないものを待つ辛さはものすごいと思うから、そんな気持ちを持って過ごすくらいなら、気軽に、誰のことも待たずに過ごしたい、そんなふうに思う反面、誰かを待つウキウキを久しく感じていないことが、それはそれで寂しいなと思ったりもする。
今のところ誰のことも待っていない私だけれど、たまに、未だ現れない誰かを想って、そわそわしたりもしてみたい。多分だけど、ひとりの時間に楽しみなことがあれば、待っている時間もそんなに辛いばかりではなくて。自分の時間を過ごしていて、あ、きたの?くらいな感じがちょうどいいのだと思う。不安の方に押しつぶされないために、自分の拠り所を見つけておけば安心できるはず……!
(パートナーが拠り所っていうひともいるし、それも別にいいことだけど)源氏物語を読むことみたいに、絶対に逃げていかない、消えないものを頼りにしておけば、なんとかなる気がする。そうしたら、誰かを探しにだって行けるし、待たされても怖くない。たまに虚しくなったとしても、本をひらけばひとりで待っている女が死ぬほどいるし、そんな女たちの物語が、もう千年も読み続けられている……。
コロナ禍で見つけた、私のひとり時間の味方は、千年前からたくさんの人のひとり時間のお供だったのでした。