息子の彼女である私のことを、大切にしてくれた元彼のお母さん

元彼のお母さん。私が今まで出会った人の中でいちばん尊敬している女性だ。元彼の家に遊びにいくと「いらっしゃ〜い♪」といつも陽気に出迎えてくれた。
一般的に、息子のいる母親にとって息子の彼女は最も気に食わない存在のはず。なのに「息子はまみちゃんのこと大好きだから」と大切にしてもらった。というか、気づけば晩ごはんが出てきてお風呂も泊まりもOKという、規格外の高待遇だった。

「ちょっとアンタ、あたしが寝てる横でまみちゃん襲うんじゃないよ!ガハハ!」なんて気恥ずかしいお節介という税がかかっただけで、全く見返りを求められなかった。お礼をしても間に合わないほど、もらう量のほうが多かった。
たぶん、私が家庭の悩みを抱えていたことを息子から聞いていたと思う。大学生だった当時、私の家は常に不穏で、家族に心を開けなかった。元彼の家は私の癒しスポットになり、安心感に包まれて過ごせた。

家族に絶望していた私を変えてくれたのは、元彼のお母さんがくれた愛

元彼の家族にキャンピングカーの旅に連れて行ってもらったこともある。親の顔色を気にせず純粋に楽しめる"家族旅行"は、随分長い間経験してなかった。
晩ごはんの準備では「まみちゃんはお米炊いてね」と炊飯係を任された。しかし実は私、お米を炊いたことがなかった。無知な子だと思われるのが恥ずかしくて、とりあえず自己流でやってみることにした。まず炊飯器の内釜に書いてある目盛りを観察。それを米の分量を示すものだとさっそく勘違い。本来米を測る役割の計量カップの存在は目に入らなかった。4人分だから4目盛りまでね……と無洗米を大量に投入。「水の分量は、米の表面に手を当てて、手首の関節が浸るくらい入れるんだったな」と何故かそこだけおばあちゃんの知恵的な情報をもっていた。

結果、8合分の炊飯器いっぱいに米が炊き上がってしまった。最初に炊飯器を開けたのは元彼のお母さんで「なんじゃこりゃ?」と呆然。それで失敗に気づき、私が焦って経緯を話すと「大丈夫大丈夫」と許してくれた。さすがにちょっと苦笑いだったけれど。幸い水分量はちょうど良く美味しく食べれる硬さだったが、白米満タンの炊飯釜の迫力はすごかった。 

そんなおバカな笑い話が生まれた楽しい旅行だった。「家族」ってこんなにあたたかいものなんだと思った。このまま私もこの家の子になりたいとも思った。元彼のお母さんの娘になれたらどんなにのびのび生きられるだろうかと。
「家族」に絶望しかけていた私を変えてくれたのは、元彼のお母さんがくれた愛。私のマザーテレサ的な存在だ。 

元彼と別れる選択をして残ったのは「お母さんへの未練」だった

でも、現実は厳しい。元彼のお母さんがよく私に言う台詞があった。
「息子はだらしないヤツだからこれからも面倒見てやって…あっ、でも別れても良いからね」
彼女らしい優しい台詞だった。同時に、どんなに仲良くしてもらっても他人同士なんだなと距離も感じた。
息子への愛は無償だけど、私への愛は“ただし息子のパートナーであること”という条件付き。そりゃ当たり前だ。でも悲しかった。 

就職を機に、元彼との別れを考え始めた。元彼を恋愛のパートナーとして見れなくなっている自分に気づいてしまって。
実際別れてみると未練は全くなかった。寧ろ、私の歪んだ自己実現のために元彼を利用することにならなくて良かったとホッとした。ただ、元彼には本当に申し訳ないけど、元彼のお母さんへの未練は残った。
元彼のお母さんと本物の母娘には一生なれない。もし結婚したとしても「息子の彼女」から「嫁」に立場が変わるだけだ。理想を白紙に戻して、自分の現実を受け入れる努力をした。

それから数年経ち、最近私は別の相手と結婚した。元彼にも元彼のお母さんにももう一生会わない。合わせる顔がない。恩知らずだと思われているだろうから。自分でもそう思う。元彼のお母さんからもらった愛は、胸の奥に封印して生きていく。今度は私が愛を与える側になるんだ。