神様が現れて、過去に一度だけ行かせてあげようなんて言い出したら、私は真っ先に6年前に戻らせてほしいと懇願する。
別に人生で大きな分岐点があったとか、亡くなった人を取り戻したいとかではない。ただ私は高校3年生の18歳の頃の自分に、最後のお弁当を作ってあげたいだけ。

お弁当作りは慣れれば苦ではない。一日の小さな楽しみにさえなった

物心ついた時から母子家庭で、母は朝から夕方までずっと働いていていた。それに加えて早起きが苦手な人だから、せめて朝ご飯とお弁当くらいは自分で作ろうと思っていた16歳の頃の私。
3年間、毎朝6時30分には起きて玉子焼きを作り、ウィンナーを焼いて、あとは冷凍食品を電子レンジで温めて詰めるだけの見映えも栄養も気にしない簡単なお弁当を、眠い目を擦りながら毎日作っていた。

昼休みになり、いつも一緒に食べる友達と机を寄せてお弁当を開くと、1週間に1回は「また茶色いお弁当」「お母さんたらいつも同じ様なおかずばっかり入れるんだから」なんて友達は文句を言っている。
作ってもらえるだけありがたいのに、どうして文句なんて言うんだろう。そんなに文句があるなら早起きして自分で作って好きなものだけ入れたらいいのに、なんて思っていた。
早く起きるのは辛かったけど、慣れればなんて事はない。毎日歯を磨くのと同じで朝のお弁当作りはルーティン化していた。それに自分の好きなおかずだけを詰め込む事ができるお弁当は、食べる事が好きな私にとってほんの少しの楽しみになっていた。

高校最後の日。いつものお弁当を開く私と、特別なお弁当に涙する友人

高校3年生の2月中旬。最後の登校日で高校生活最後のお弁当も、私はいつも通りの時間に起きて自分でお弁当を作った。いつも通り玉子焼きを作りウィンナーを焼いて、冷凍食品ばかり詰めただけの、見栄えも栄養も気にしない簡単なお弁当。

昼休みになってお弁当を広げて、さぁ食べようなんて思っていると目の前にいる友達と教室のあちこちから驚きの声とすすり泣いている声が聞こえてきた。
泣いている友達にどうしたのか理由を聞くと、友達は1枚の手紙を渡してきた。どうやら友達のお母さんが娘に宛てた手紙だった。
了承を得て読むと、そこには“3年間お弁当を食べてくれてありがとう。作るのは今日で最後だから、1番好きなおかずを入れといたからね”なんて書かれていた。
友達は嬉しそうにお母さんからの最後のお弁当を食べていた。

とても羨ましかった。私には3年間お弁当を作ってくれたお母さんはいない。あんなに素敵な手紙を添えて、最後だからと好きなおかずを入れてくれるお母さんもいない。

ずっと働いてるし、朝起きるの大変そうだから。自分で作れば好きなおかずだけを入れられるし、早起きは少し辛いけど慣れてしまえば自分で作る事はなんて事なかった。
でも、この時は猛烈に寂しかったし、悲しかった。教室の中のほんわかした暖かい空気に、私だけ取り残されたような虚しさも感じた。
せめて今日だけでも、高校生活最後の日だからお弁当を作ってと母に頼み込めばよかった。

本当は「お母さんのお弁当」を食べたかった、高校3年生の私へ

6年経った今でも、あの出来事をふと思い出す時がある。自分で好きなように作れるからなんて思っていたが、ただの強がりで、なんだかんだ私は寂しかったのかもしれない。

だから私は過去に一度だけ行けるならあの日に行き、18歳の私に最後のお弁当を作ってあげたい。
玉子焼きの味も他のおかずも全く変わらないかもしれないけど、1番好きなおかずは何か分かっている。最後だから特別に2個も3個も入れてあげよう。そして手紙を添えて、今頃どんな顔でお昼休みを迎えてるかな、なんて思いを馳せたい。

最後のお弁当は私からプレゼントさせてね。3年間、毎日早起きしてお弁当を作って偉かったね。ちくわの磯辺揚げ好きだよね。最後だから特別に多めに入れといたから。3年間お疲れ様でした。