父は大手電気製品メーカーの研究職、母は専業主婦。そこに生まれた私は、一人娘として家庭内天下を取っていた。今時この表現はないかもしれないが、蝶よ花よと育てられたのだ。

欲しいものは何でも手に入ったし、勉強でつまずくこともなかった

誕生日が早く、他のみんなより背が高いことは少し嫌だった。でも、欲しいものは何でも手に入ったし、塾にも通わせてもらっていたので勉強でつまずくこともなかった。
学校から帰ったら、母が手作りのお菓子を作って待っていた。ピアノもそれなりに弾けたし、水泳もそこそこ出来た。

それもこれも全て当たり前なのだと思っていた。いや、当時は思ってもいなかった。むしろ自分の能力が高いからだとさえ思っていた。ありがとうとか、お疲れ様とか、感謝や労いの言葉を誰かに伝えたことがあっただろうか。

反抗期の私は、口を開けば悪態を吐き、家族がうざいとも感じていた

中学の頃、母方の祖母と母と三人で暮らすことになった。それでも私の考えは変わらず、当たり前に与えられた環境を享受していた。その頃には周りのみんなの背が伸びて、私はクラスでも背の低い部類になっていた。それはそれで、少し嫌だった。

高校受験に失敗した。人生初めての挫折を味わった。それをきっかけに反抗期に入り、それはそれは酷いものだった。口を開けば悪態を吐き、家族がうざいとも感じていた。
でも、一緒に住んでいた家族は私を見捨てなかったし、大切に思っていてくれた。未成年だからという一般的な理由ではなく、家族として大切に思ってくれていたということは当時も感じていた。けれど、わたしの反抗期はそれさえもガソリンにして大爆発を起こしていた。
そんな家庭内天下無双、今世紀最悪の独裁者状態の私だったが、家族や高校の先生のおかげで、大学に進学することが出来た。

あれ?私、なんで家であんな偉そうにしとったん?

大学は今までの学生生活の中で、最も多くの人が集まっていた。すると、色んな人格や生活スタイルに触れる訳である。奨学金をもらい、親からの仕送りはなく、自分でバイトをしてでも大学へ学びに来ている人、バイトしなくてもブランド品を身につけている人、海外からの留学生、浪人・留年して歳上の同級生。
あれ?私、なんで家であんな偉そうにしとったん?自分で頑張って掴んだものも、大学は目標までの通過点で二百パーセント吸収してやろうという意気込みも、何もない。それに気づいた頃からわたしの反抗期の爆発は少しずつエネルギーを失っていった。

大学卒業後、無事、就職をした。働いて会社からお金をいただくようになって、父や母、母方の祖母の、家庭を支えていかなければならないというプレッシャーが分かった。
結婚して、妻という役割を果たす為の努力を知った。
妊娠・出産して、母の不安や苦労が分かった。

あの日の桃源郷を、自分の子供に与えてあげられるのだろうか

今まで当然のように過ごしてきた私の生活は、父や母、そして母方の祖母の努力によって成された奇跡のような環境だったのだ。私一人の稼ぎや私一人の働きなどでは到底作れない、あの日の桃源郷を、自分の子供に与えてあげられるのだろうか。感謝されなくても、労われなくても、罵られても、自分の子供を信じて、愛し続けられるのだろうか。

いや、やってやる。私を育ててくれた家族の偉大さを知ってしまった私なら、きっとやれる。子供を信じ愛し続けることが、父と母、そして、母方の祖母が、今まで私に絶え間なく注いでくれた深い深い愛情に報いることなのだ。