タイマーが鳴る。
外蓋に次いで内蓋を開けると、湯気とともにつやつやしたお米が現れる。
今日もうまく炊けている。
少し水っぽい時もあるが、軽く混ぜてもうしばらく蒸らせばさほど問題はない。

家の奥から出てきた土鍋は10年前に家族が購入したものだ。
土鍋としてはもう寿命だという声もあったが、しばらく放置されていただけなのでまだまだ現役。処置を施さないと漏れが気になる時はあるが、一度の処置でかなり回復するからまだ使えると言っていい。

炊飯器と違い、炊き上がり時間がずれることがある。しかし保温力は抜群なので早めに準備しておいて多少早めに炊き上がるのは問題ない。
味については格段に良くなるとかならないとか……炊飯器のご飯は外食でしか食べないから分からないが、うちのご飯はおいしいと思う。

便利じゃないが満ち足りている 言い換えるなら「ばあちゃんの暮らし」

鍋炊飯には様々なものがある。

味で言えば一番のおすすめは土鍋だが、管理の手間、炊き上がりの速さで考えれば圧力鍋がおすすめだ。
最近では見た目は普通の鍋に見える無水鍋もあって、あそこらへんもいいんじゃないかと思う。

火加減が難しいなんてコンロのない時代の話。
中火も弱火も自由自在な現代においては、炊飯器ほどの便利さはないというだけでそれほど難しいものではない。

たったそれだけのことが「丁寧な暮らし」なんて言われていることに驚いた。
もう一昔前のことになるんだろうか。炊飯のことについて触れられていることは多くないが、「丁寧な暮らし」というのは私は違和感を覚えてならない。
強いて言い換えるなら「ばあちゃんの暮らし」だ。

最近私は漬物も始めた。
簡単だが、確かにこれらは時間に余裕がない人には億劫かもしれない。
こういうことに手をかけられるということは、その分ゆっくりする時間もあり、なおかつネットやスマホなんかにも支配されていないということだ。

食材や食事、生活に向き合い、満ち足りた時間を過ごせるというのもわかる。
確かに丁寧なのかもしれない。

「しんどいけどこれをしている自分は偉い」と言いたい

他にも丁寧?と言われることは多少しているのだが、私はただ祖母や母から受け継いだことを淡々とこなしているに過ぎない。それを特別扱いして自分を大きく見せようとする人を見るとまぁ不思議な気持ちにはなる。

一方、広い意味で無職という肩書きになる私に対し、もっと働けば?なんて言う人もいた。余計なお世話である。
どちらも「しんどいけどこれをしている自分は偉い」と言いたいだけなのだ。
しんどいのならやめれば?生活できる程度に切り替えれば?
なんて思う。まぁ実際はなかなかそうもいかないのだろうけど。

しかし、働けば?なんて言われたのもコロナ前の話。
コロナが広がってからは言われなくなったのだ。
仕事を探すこと自体が難しくなったからかもしれないが、それ以上に家でやれることをやるようになったのが大きいと思っている。

ただダラダラしている人を見るのが苦痛だったのだろうが、それにしてももう少し言い方を考えてくれても良かったんじゃないかと思う。
そういう意味では、私はコロナ前より生き生きしているのかもしれない。

図書館通いの日々 一冊読めば一つ賢くなる・・・気がする

最近は図書館通いの日々だ。
近くの図書館に取り寄せた本を取りに行き、返却する本を返すだけのことが多い。
なんと市内の図書館にある本なら近くの図書館に取り寄せることが可能なのだ。
市立図書館を侮ることなかれ。話題作は予約待ちでなかなか借りられないが、私が興味を持った本はかなりの確率で見つけられた。

それまで、本なんて読めと言われてもなかなか読まず、損しているよなんて言われていた。
「何それ意味わかんない」と思っていたのも昔の話。
こんなに楽しいことを知らなかったなんてと後悔している。
一冊読めば一つ賢くなる。気がしている。まだ文章も拙いままだけど。

まだまだ雑誌が目立つが、ここからも学ぶことは多い。
絵本での気晴らしも良いものだ。
好きなものから始めて、今はどんどん興味が広がっている。
ゆくゆくは深い読み物にも挑戦したい。