親友にも打ち明けていない、普段は心の奥底にしまっている経験について書こうと思う。
願わくば「仲間はずれになる孤独感」は、知らずに生きていきたかった。
中学1年生のとき、いない人間のように扱われてクラスで孤立した
中学1年生のとき、夏休み明けのある日を境目にいつメン(いつも一緒にいるメンバー)から無視されるようになり、そのグループから離れ、別のグループに入った後も仲間に入れてもらえず、クラスで孤立した経験がある。
不幸中の幸いで、物を隠されたり、暴力を振るわれたことはない。
陰口を言われるのも気分が悪いが、目の前で明らかに自分の悪口を言っているのを聞くことも、いない人間として扱われているようで精神的に辛かった。
救いだったのは家族の存在だ。
学校から帰宅すると母と弟がいて、テレビを見たりゲームをしたりして楽しく過ごした。
家で家族と過ごす時間は、辛い学校生活を忘れられる唯一の時間で、幸せを感じていた。
申し訳なかったと思うのが、母親に学校生活の様子を聞かれても、全く話せなかったことだ。
辛いと言って心配をかけたくなかったし、担任の先生に何か伝えられても気まずいだけで、孤立しているのは恥ずかしいことだと思っていた。
別の中学に進学した小学生からの友人にも、孤立していることは打ち明けられなかったが、何も気にせず過ごせるので楽しかった。
同じクラスには部活が同じ人もいて、教室で積極的に話しかけてくることはなかったが、部活では普通の友達のように接してくれた。
もう一つ居場所ができたので、何とか学校に通い続けられた。
部活が楽しいと思えるまでは、転校したいと何度も思ったが、次のクラス替えまで耐え抜くことにした。
新学期まであと何日か指折り数えていた当時の自分を抱きしめてあげたい。
多感な新種期の頃の心身へのダメージは、15年経っても残っている
幸いなことに、2年生のクラスではクラスの雰囲気もガラッと変わり、心機一転新しい友人もできた。
その後はクラス替えの季節のたびに、情緒不安定になったが、新しい友人もでき、部活も続け、充実した中学、高校生活を送ることができた。
しかしクラス替えで私のすべてが元通りになったかというと、そうではない。
孤立によって精神的、ひいては身体的にもダメージを負ってしまい、15年が経とうとしている今でも弊害を感じている。
本来の私は、明るくて社交的であったはずだが、クラスでの孤立をきっかけに、「私なんて」を枕詞のように使ってしまうネガティブ思考に変わってしまった。
「私が良い思いをするなんておこがましい」「自分は幸せにはなれない」と自己暗示をかけてしまうことが今もある。
またストレスによる歯の食いしばりは、この頃からスタートして頭痛やエラの張りに繋がっている。
一人で行動することや、ペアで余りになることに強い恐怖を抱いていたことから、今でも人と違うことをすることに抵抗感があり、人一倍人間関係に臆病であるのは、孤立を経験した名残であると思う。
多感な思春期に本当に辛くて、悲しくて、寂しくて、惨めな思いをした。
乗り越えたと思ってはいても、自分の中ではトラウマになっていて、いまだにふとした瞬間にフラッシュバックして、動悸がすることもある。
いじめなどに対して被害者側は覚えている、とはよく聞くが、精神的にも身体的にも蝕まれて、忘れたくても忘れられないのだ。
忍耐力や共感力が身についたかも。でも切なくやるせない
最近は、孤立した経験を経て今の自分がいると考えるようになった。
自分の強みには「忍耐力があること」を挙げられるのだが、孤立によって心をすり減らして得たものだと思うと、切なくやるせない。別の方法で身につけたかった。
もう一つの強みは「共感力」だと考えていて、相手の立場に立って考えるだけではなく、心の痛みを知っている人間として、誰かを守る側にならなければならないと思う。
想像力を働かせ、困っている人に寄り添えるような温かい人を目指していきたい。