「秋のにおい」。言葉を超えた感覚を共有できる彼女は特別だった

「秋のにおいがするね」
「そうだね」
この曖昧な言葉を理解してくれるのは、彼女だけだと思っていた。
彼女は、私にとってどうしようもなく特別な存在だった。私と彼女の間には、二人だけにしか分からない何かがあった。言葉など交わさずとも、同じ空間を介するだけで伝わってしまう何かが、ふとした瞳の動きで悟ってしまう何かが、確かにあった。どれだけ言葉を尽くそうとも言い表せない物々の連続の中、彼女といるときだけ、私は言語を忘れたひとつの生命として存在できる気がしていた。

自分の淡い恋心に気づいたのはいつだっただろうか。もう、互いに背を向け歩き始めている頃だった。彼女は私にとって、過去の宝石だった。ずっと仕舞い込んでいる心の奥のほう。誰にも見せない部分に仕舞っている、艶やかな宝石。
彼女はあのとき、私と同じように私を大切に思ってくれていた。その確信と覆ることのない過去は、その煌めきを一層強固なものにした。

本に書かれていた「秋のにおい」に心動かされ、その容易さに驚いた

先日読んだ本に、『季節のにおい』について書かれていた。
『何が生み出したか解らない、胸をぎゅっと締め付けるような、一歩外に出て「あぁ、秋になったんだ」と思わせるようなにおいが、私をどうにも切ない気持ちにさせるのです。』
(川上未映子著『安心毛布』より)
あぁ、まさしく、まさしくそれであると思った。
季節のにおい、私ではどうにも表せなかったあの感情。それを、いとも容易く言葉で共有できたことに驚き、大きく心を動かされた。

感動したのも束の間、この一文といつかの情景が結びついたとき、私は思わず息を詰めた。
あの日、私と彼女だけで共有していた、あの感動じみた感情。
あの情景は、あの気持ちは、もはや一般認識であるのだということにも、気づかずにはいられなかった。心臓の内側、大切に持っていたあの宝石は、他人が書いて量産された紙上の、ただの一節で解るような、どうしようもなく薄っぺらいものだった。

大切だった宝石が、価値のない砂に変わっていくのをただ一人見ていた 

さらさらと零れ落ちる記憶を、大切だった宝石がなんの価値もない砂に変わっていくのを、一人で、今度こそ誰とも共有できずにただ諦観していた。

黄金色の田んぼを横目に見ながら、二人ペダルを踏みしめて夕陽に照らされていた秋の口の帰り道。近くから聞こえる、震えるように鳴く虫の鳴き声に釣られて、喉の奥が泣きそうな時みたいにぐ、と詰まる。こんな日はもうこの先ずっと来ないのだろうと、そんな、諦めたような、どこか空を掴むような虚無感を心のどこかで漠然と感じていて。

そんなとき私と彼女は、お互い何も言葉は発さずとも、何とも言えない、複雑で曖昧で強固とした感情を、確かに抱いてた。あのころの私と彼女は、確かにあの空間を、情景を、気持ちを共有していた。そしてひとこと、どうにも表現できないこの切なさを共有したくて言うのだ。
「秋のにおいがするね」

私と彼女だけがいたあの空間、空気、会話、感情。
それは量産され、ただの事実であることを知った。
私の中のあの秋の日が殺されたとして、何が変わるでもない。私はこれからも普通に生きてゆくし、こんな風に感じるのも今だけなのだろう。そんな予感が、私の首を一層締め付ける。

切ないなぁ、季節のにおいなんて、どうでもいいはずなのに。