私の欲しいものは、素直な心だ。今だけでなく、ずっと欲しいと思ってきた。
元々お喋りな方ではない。かと言って、口下手、で済ますのはポリシーに反する。小さな時から、素直になれない自分を知っている。

みんなより背が高く、お姉さんでいる必要があるから素直になれない

今でも覚えているのが、母とディズニーに行った時。骨のついたお肉が食べたくて並んでいたけれど、並ぶのが嫌で私は怒り出してしまった。そして、食べたくない!と心にもないことを言って、その場を離れてしまった。
全てお見通しの母は、私の分のお肉を買って、私を探し出してくれた。急に怒り出してどこかに行ってしまって、母に私の分のお肉を持たせて、自分を探させてしまった事。どういう訳だか、そのエピソードは今でも素直じゃなかったなぁと、時折思い出す。
そんな些細なエピソードが沢山ある、素直じゃない当時の私は、自分がみんなより背が高いから、素直でいられないんだと思っていた。誕生日も早く、背も高かった為、みんなよりお姉さんでいなければという気持ちがあった。当時はそれで済んでいた。 

学生時代、結局、背はそれから伸びなくて、人より小さい方になってしまった。がしかし、素直、から真逆の道を歩んでいた。何につけてもひねくれていて、人と違う考え方でいたかった。物を斜に捉える癖がいよいよ定着していた。それを個性だとも思っていた。
それに、学生時代は周りの友達が良かった為か、苦労した記憶はそこまでなかった。というか、本当に何も考えてなかったのだと、今となっては思う。

義理の祖母にありがとうと伝えたくて文字にした。それが精一杯だった  

社会人になって、素直になれないのが初めてかっこ悪いことだと思った。家族に、いつもありがとうと言えないことが、かっこ悪いことだと思った。
コロナで会えなくなった人のなんと多いことか。家族も会えなくなった人の一部だ。会えないからこそ、どれだけ心配しているか伝わってくる。
なぜなら、私も家族を心配しているからだ。素直になれない私でさえ、会えなくなった家族のことが心配でたまらない。もし何かあったとしても、駆けつけられない今だから。
去年の年末、義理の祖母が亡くなった。コロナ禍で入院したら、もう会えないという時期。家でみんなで介護をした。義理の祖母の子供は一人娘で、私の姑だ。最愛の母が弱っていく姿を目の当たりにして、毎日辛そうだった。
義理の祖母は、いつも気丈だった。病に伏しても尚、気丈だった。私は義理の祖母に、何といって言葉をかけて良いか分からなかった。それでも、ありがとうは伝えたかった。
言葉で言えなかったので、私は文字にして伝えた。それが精一杯だった。義理の祖母にどれほど伝わっていたのか、そこまで考えられなかった。

言葉を話せるのに、目が見えるのに、それが出来ない私は、かっこ悪い

こんな時、素直に言葉で言えたら。顔を見ながら、言葉で伝えられたら。きっとどれぐらい伝わっているのか、あとどれぐらい何を伝えたら良いのかも分かるだろうに。私は言葉を話せるのに、目が見えるのに、それが出来なかった。あぁ、かっこ悪いなぁ。そう思った。 

素直じゃないことを、身長のせいにしていたかっこ悪い私とさよならしたい。素直になれば良かった、なんていう後悔はしたくない。素直な心が欲しい。私にとって文字は、その気持ちを少しでも成功へと導いてくれる道標だ。今もこうして、素直になりたい気持ちを文字で綴っている。うまく伝わっているだろうか。あと少し、きっとあと少しで素直な私になれるはず。その時は、私の周りにいる人に、家族に、ありがとうを自分の言葉に乗せて伝えたい。