「もしタイムマシンがあるならいつに戻りたい?」と聞かれたら、私は迷わず「中学時代」と答える。その想いは、冬の寒空の、あの空気の匂いでより一層強くなる。言葉にするのは難しいけれど、季節にも匂いがあり、それぞれに思い出がある。
清々しい春の匂い、煌めく夏の匂い、朗らかな秋の匂い、透き通る冬の匂い。私の季節のイメージは、こんな様子である。いつも季節の変わり目を教えてくれるのは、その匂い。それくらい、私にとって季節の匂いは大切だ。
冬が1番好き。切なくなるのは中学時代の恋を思い出すから
冬。気が付いたら暗くなっている空。肌に突き刺さるような冷たい風と、澄みきった空気。
ヒンヤリとした冬特有の匂いは、どこか切なく、背伸びしたような気持ちになる。
その寒さを味わいたくて、思いっきり空気を吸って目一杯匂いを感じると、チクリと胸が痛んだ。
こんなに切ない気持ちになるのは、中学時代を思い出すからだ。
私は中学時代、吹奏楽部に所属していた。全国大会を目指して、放課後はどの部活よりも遅くまで練習する日々。
遊ぶ暇なんて、もちろんない。土日祝日も、当たり前に一日練習。夏から秋にかけて行われる大会のため、みんな必死だった。
そんな私が1番好きだった季節は、冬。
それは決して、ほかの季節に比べて練習が楽になるから、という理由ではない。いや、それも多少なりともあるけれど。
私には、半年の片想いの末、お付き合いすることになった彼がいた。バスケットボール部に所属する彼と、吹奏楽部に所属する私とでは、帰宅時間がバラバラになる日が多く、一緒に帰れる日は少なかった。
それが冬になると、日没が早くなるおかげで、全ての部活が同じ時間に活動を終える。
暗くなる前に帰れよ、という学校側の有難い配慮によって。
だから私は、冬が1番好きなのだ。
彼の後ろ姿とドキドキする気持ちを、今でも覚えている
部活動の休憩中、部室の窓を開けると、冷たい風が吹き込んでくる。もう既に暗くなっている空を覗き込みながら、友達とどうでも良い話をたくさんした。
「今日も一緒に帰るんでしょ?」なんて茶化されれば、照れながらもちゃっかりハンドクリームを塗る。浮かれた私は、リップクリームも塗ってみる。
彼に少しでも可愛いと思われたくて、色付きのリップクリームをこっそり。そのまま友達とヘアアレンジをしてみたり、体操着とカーディガンを整えたり。
そわそわ、わくわくしながら休憩時間を過ごした。
壁にかけられた時計を何度もチラチラと見ては、その度に頬を緩める。
彼との帰り道が近付いてくることが、何より嬉しくて堪らなかった。肌に刺さるような寒い空気だって、この火照った気持ちには心地よく感じた。
下駄箱の前、私を待つ後ろ姿を見つけて、嬉しくなる。帰り道に話した内容なんて、もう覚えていない。だけど、この後ろ姿とドキドキする気持ちだけは、今もはっきり覚えている。
子どもなりの真っ直ぐな恋。冬の寒空の匂いが忘れられない
そして、彼とお別れをした、初めての失恋も冬だった。
友達に戻ることを選んだのに、離れてしまった距離がお互いにどこかむず痒くて、もう触れられない体温を悔やんだ。後ろ姿に駆け寄ることが出来ない事実が、苦しかった。手袋を忘れても、ただ寒いだけになった。
子どもなりの、真っ直ぐな恋だった。
冬の寒空の匂いは、私の大切な恋心を運んでくれる。
あの日塗ったハンドクリームの匂いも、色付きのリップクリームの匂いも、彼の優しい柔軟剤の香りも。わざと忘れた手袋の代わりに、私の冷えた手を包んでくれた、大好きな体温までも。全部全部、思い出させてくれる。切ないほどに。
それと同時に、もう一度戻りたいと思えるほど、優しくて愛おしい時間だった。
春が来て、夏になって、秋が過ぎて、また冬が訪れる。
大人になった今でも、あの冬は永遠に私の心に残り続ける。
だから私は今でも、冬の寒空の匂いが忘れられない。