欲しいものある?と聞かれて、いつも答えに迷うような、幸せで満ち足りた毎日だけど、もしなんでももらえるなら、可愛くて少し大きな家が欲しい。
今住んでいる実家みたいに、好きなものだけでできたような、家の中にいるだけで幸せだと思えるような家。
そんな家があったら、子供達にヴァイオリンのレッスンをして、その後揃えた可愛い食器でお茶ができるのに、といつも思う。
レッスンに来る女の子が見せた暗い顔。話を聞き抱きしめてしまった
現在、7人ほどの子供たちにヴァイオリンを教えているが、最近の子供達はみんな忙しい。
その上頑張り屋さんで、なかなか辛いと言わない。
自分のストレスとか疲れだとかに、気づけてないんじゃないんだろうかと、よく心配になる。
昨日は、いつも笑顔で嬉しそうにレッスンに来る女の子が思い詰めたような暗い顔をして、なかなか楽器を出さないから、これはきっと何かあったのだと思い話を聞いてみたら、ジュニアオーケストラの活動が、難しすぎて辛いと言う。
確かに……。その子の技術レベルと、入ったジュニオケのレベルが全然違うのだ。
例えて言うなら、やっと英語で絵本が読めるくらいになったところで、次に渡されたのが厚さ5cmくらいあるハリーポッター原作だった、みたいな。
少しずつ分かる(弾ける)ようになる、分かる単語(弾ける場所)も増えてきた、とはいっても
完全に理解するにはまだまだで、面白いや楽しいより、難しいや苦しいが強くなってきてしまったようだった。
話を聞いているうちに、居ても立っても居られなくなって、思わず彼女を横から抱きしめて、頭を撫でてしまった。
もう中学生だし、嫌がったらやめようと思ったが、そのまま私に抱きしめられているので、数分間そうして、頭を撫でていた。
これが異性だったり、信頼関係がなかったりしたらきっと問題なんだろうなとも思ったけれど、それよりも彼女をほっておけなかったし、立ったままただ話を聞いているのは、私にとってあまりに愛がない気がしたのだ。
「もし私の家だったら」。時間に追われることなくできることがある
心の中で、今日あけたてのロクシタンのフレグランスをつけてきて良かった……。抱きしめて嫌な匂いより甘い匂いがした方が全然良いよね……と思ったりしながら、
ゆっくり、ゆっくり彼女の頭を撫でながら「お休みすることも、やめることも、悪いことじゃないんだよ。先生は、あなたが辛い思いをして、音楽を嫌いになっちゃうことが一番悲しいから、自分の気持ちを正直に言っていいからね」とひたすら何度も伝えた。
少し時間が経ってしまって、急いでレッスンを始めたが、心の中で、もしこれが私の家だったなら、とずっと考えていた。
私の家だったなら、甘いお菓子に温かいお茶を出してあげて、もっとゆっくり話しを聞くことができただろうし、時間に追われることなく、彼女のペースでレッスンを始めることができただろう。
もし家にある程度の広さがあれば、オーケストラは無理でも数人でのアンサンブルは家の中でできるし、生徒各々のレベルに合わせて曲を選ぶことができただろう。
この生徒もそうだが、教えている生徒の半数以上がお菓子作りやパン作りにも興味があると話してくれているから、いつかヴァイオリンとお菓子両方教えるレッスンをすることもできるだろう。
パンなら発酵時間にレッスンをして、レッスンが終わったら焼きたてのパンを食べてもいいし、お菓子ならレッスン後にゆっくり楽しく作ればいい。
こんなに考えていてもそれができないのは、私が住んでいるのは埼玉のはじっこで、レッスンをしているのが都内の教室と遠く離れているからだ……。
子どもたちに「楽しい」と思えて、ストレス発散になる時間を作りたい
今いる生徒たちの親御さんは本当に素晴らしくて優しい方ばかりで、この可愛い生徒達をこんなにちゃんと育てているのだからその時点で尊敬しかない(これは強く言いたい)。
けれど子供達にとって、家以外でも少しでいいから楽しいと思えることが増えて欲しいし、日常のストレス発散になる時間を作ってあげたいし、ゆっくり話も聞いてあげたい。
可愛い子供達の顔から、笑顔が消えているのに時間を気にしながら話しを聞くなんて、そんな愛のないことをしたくない。
だから何でももらえるなら、そして私の気持ちが犯罪だと言われたり、逆に誰かにとって苦痛にならないのなら(今は色々と難しい世の中だから……)、家が欲しい。
子供達にとって、癒やしで楽しい空間になるような。
そして欲を言えば、今の教室の近くがいい(笑)。そうしたら今いる可愛い可愛い生徒達が遊びに来やすいから。
でもそれは夢のまた夢なので、今私が子供達のためにできることを考えることにする。
例えば……本番終わりの頑張ったねプレゼントを用意するだとか、リクエストのポケモンのシールを探すだとか、レッスンの帰り道ゆっくりゆっくり一緒に歩いて話を聞く、とか。