スクールカースト中の下、人見知りの私は上京してイメチェンを図った

クラスの誰もが羨む、才色兼備な女の子。
容姿端麗なだけでなく、性格まで良い。まさにパーフェクト。
そんな彼女を見るたびに、「私もあんな風になれたらいいな」と憧れを抱いていた。
私には無理だと分かっていた。
私の外見も内面も、彼女とはかけ離れていた。
スクールカーストでいえば、真ん中の少し下くらい。いじめられて「ブス」だの「死ね」だの言われ、どんどん人見知りをこじらせている。
それが昔の私だった。
ずっとこのままでいるのが嫌でたまらなかった。
逃げるように上京してから、イメージチェンジをしようと考えた。ファッションやメイクを勉強し、毎朝鏡に向かって笑顔の練習。
もちろん、見た目だけではない。
マナー系や語学系の資格を取得したり、コミュニケーションについての本を読んだり。
内面も磨こうとひたすら努力した。

努力が実ってついには「高嶺の花」に。これで幸せになれると思ったのに

大学生になっても、人見知りはなかなか治らなかった。
恥ずかしくて自分から話しかけられない。それでも、打ち解けると自分から話題を出したり、冗談を言ったりして場を盛り上げられるほどになった。
また、周りをよく見ながら行動できるようになり、気がつくと、自分から行かなくても周りに人が集まるようになっていた。キャンパス内で知らない男子学生に声を掛けられたり、先輩から「友だちがみちるのこと可愛いって言ってたよ」と知らされたりすることもあった。
努力の結果だと思った。
少しではあるけれど、昔の自分より変わることができて嬉しかった。それと同時に、もっと頑張って理想の姿になりたいと強く思うようになった。

社会人になって、私はさらに努力した。
そして、会社では、先輩や同期、後輩から慕われ、周りから好かれているのを肌で感じるほどになった。
「高嶺の花」と言われることも増えた。
私が振り向いただけで、手で口を覆いながら目を輝かせる女性社員を見たときは驚いた。婚活イベントに参加すれば、独り勝ち状態のこともしばしば。
そんなときはすごく気分が良かった。
こんなに人に好かれるなら、他の友人たちのようにステキな恋人ができて、幸せな結婚ができると思っていた。
でも、現実はそう甘くなかった。

ネガティブなままでは、理想の姿になっても理想の人生はやってこない

私に近寄ってくる男性は、人間性に問題がある人ばかり。
元彼もろくな奴じゃなかったので、きっと男運が悪いのかもしれない。「前世で恋人でも殺しちゃったんじゃないの?」などと、知り合いの人から冗談を言われる始末だ。
電車で見かけるマナーの悪いおじさんも、昔私をいじめていた子たちも、みんな恋愛をして結婚して家庭をもっている。
それなのに努力して理想の姿になった私は、そういった幸せを得られていない。友人たちに相談しても「そのうちいい人が現れるよ」と励まされるだけ。
「『高嶺の花』だから」と言われるたびに、それが足枷になっていると感じる。
「高嶺の花」は呪いの言葉だとすら思ってしまう。

一生懸命になって努力をすれば報われる。そう信じてきたが、何もかも上手くいくわけではない。今までの生き方が間違っていたのか。時折、自分を責めてしまう。
せっかく理想の姿になれたのに、人生は理想的ではない。
私を魅力的だと褒めてくれる人がいても、私の心は満たされない。「それなら私にステキな人を頂戴よ」と言い返したくなってしまう。
多様性のある世の中ではあるけれど、私は自分が望む幸せを手に入れたい。それができていないのは、私がいまだに自分に自信を持てていないから。ネガティブな部分がきっと表に出てしまっているからだ。
だから、自分に正直に、ポジティブになれるように変わっていきたい。
ステキな人と添い遂げられる日を信じて、私はこれからも努力を続ける。