私は服が大好きだ。高校生の頃から、服は自分の武器であり、武装であり、強みだと思っていた。

服を好きになるにつれ、他の人が着ないような着方をしてみたり、目立つような服を着てみたり、後ろ指さされるような服を着たりした。それは、きっと他人と自分は違うぞっていう事を、証明したかったからだろう。

私はありきたりだから、人間的に「面白い」と思われるようになりたい

「ありきたりな人間になりたくない」という考えが、すでにありきたりで、被りまくりなのだ。だから、私はそう考えるのをやめて、自分の好きな服を着る事だけを楽しんだ。

他人に負けたくないとか、他人と違う自分でいたいとか思いながら服を着ても、やっぱり評価だけを気にしてしまうから。自分の好きな服だけを着て、褒められると素直に喜べるし、嬉しいのだ。

でも、逆に服に限らず、普段の生活や仕事面では、やっぱり人と違うなって人が上をいき、評価されることが多いと感じる。人間面的に私は、ありきたりであり、一般的。少し捻った発言とか行動ができない。それができる人は、やっぱり少ないから「面白い」と思うんだろうな。

そういう人になりたいと思う事は少なくないし羨ましいが、性格を変える事は服装を変えることの何倍も難しい。第一印象はほぼ外見で決まるが、関わっていく上で大事なのは内面なのだ。後々大事になるのは内面で、内面が空っぽだと正直面白くないんだ。

外見に拘らずに、内面を面白くしたい。私の場合、親しい人間といる自分で、会社の人と接することができれば、きっともっと何か変わるんだろうなと思うのだ。なかなか難しいが、今後の人生の課題。

面白い人間になるに必要な能力は?何を磨かなければいけないか考える

第一印象の外見が面白いは、クリアしていると思いたいので次のステップだ。まず面白い人間になるには、第一にコミュニケーション能力が必要で、そこから磨かなければ意味がない。

私は語彙力がないので語彙力をつければ、もっと幅広く色んな人と上手く会話ができるんじゃないかと思う。なら語彙力をつけるために、どうすればいいかを考える。

なかなか日々生活していて、ここまで考える事は少ないが、人前での自分に自信を持つために頑張ろうと思う。やっぱり何事も努力しないと変われないのだ、天性的にそういうのを全て兼ね揃えた人間も稀にいるが、自分は違うから。

人生という大きな括りで考えたら、自分を変える数年間はきっと短いし、変われない自分で何年も生きる方がきっとしんどいから。努力が実って、頑張ってよかった! って、思える日まで私は努力をしようと思う。

自分で「頑張ってよかった」って思えるようになれたらいいな

諦めて逃げるのは簡単だし、何度もその先を味わった、諦めて逃げるその先は、努力を続けることの何倍も悲しくて、希望がないってことも痛いほどわかる。だから止まってもいいし、充電してもいいから諦めないでいたい。

人間はきっと努力をやめたら、日々の達成感や楽しみはなくなって、目標がなくなると何で生きるのかもきっとわからなくなる。

今生きてるみんなが、何かしらに向かって頑張れる世の中に、頑張ってよかったって思える人生に、自分でよかったって思える自分になれたらいいのにな。私はそう思いながら、自分を生きていく。