「社会的に結婚しているというステータス」が今、猛烈にほしい。
ちなみに、パートナーはいない。最近、「頼むから、籍だけ入れてくれないかなぁ」と方方で、のたまっているが、パートナーはいない。

「結婚したい、彼氏出来ない」自虐コンボは、正直自分も飽きている

学生の頃から(まぁ、今もたまにだが)、どこのコミュニティでも「彼氏が欲しい、結婚したい」というネタを話の掴みで使っていた。そこから、「でも、彼氏出来なくて〜」までの自虐コンボはウケがいいし、おいじりを頂戴できるし、嫌味もない。
でももう、結婚したいという掴みは、周りが普通に結婚してるから味がしなくなってるし、正直自分自身も飽きている。19の時から同じことを言っているのだ。思考のアップデートもなさすぎる。
「結婚したいってパフォーマンスでしょ?」と20年来の地元のツレに見透かされ、それが、妙に腑に落ちたし、恥ずかしい思いもした。別の友人の家に泊まりに行った夜も、散々この手の話を擦ってから、「とは言うけど、実際いらないよね」とそういえば毎度帰着していたのだ。
ここで、重要なのは、「パートナーは、いてもいなくてもいい」ということだ。いて越した事はないが、意中の彼に女がいた一件で、自分の依存傾向が、強い事をまざまざと思い知った。パートナーなんか出来たあかつきには、依存しまくって、自分のパートナーなのに、「いい人なんだから、彼のことを他の人が好きにならないのはおかしい」という、いかにもな理論をぶったてて、彼を信用してるフリして、信用してないのがバレて、ずっと不安定なのがオチだ。
なので、ステータスだけ欲しい、都合が良すぎるが。

結婚でマウント回避出来るなら、こんなに素晴らしいことはない

みんなが通ってきた道なのだろうが、他者からの、おいじりとか、何の気なしの「早く結婚した方がいいよ」「結婚すれば分かるよ」みたいなのって、もうつまんないし、めちゃくちゃうるさいと感じてしまっている。心配してくれている人もいるのだろうが、だからと言って、別に責任とってくれるわけでもないんだから、放っておいておくか、見守ってて欲しい。
尊敬するお笑い芸人は、結婚してもアップデート出来なかったと叫んでいた。結婚してることで一人前として扱われること、自分の何かを変えてくれること、自分はより良く変われることをと信じて疑わなかった。でも、地位も名声もあるその芸人ですら、アップデート出来なかったというのだ。
なぜ結婚したら全てが解決すると思ってたんだろう。結婚をステータスとか、アップデートとか言ってる時点がもうなんかダメなのは分かってるけど。
でも、上記の意中の彼に対しても、恋人がいるという事実よりも、私にマッチングアプリをした方がいいだの、「ご飯食べてきた」と言えば、「合コン?」と聞いてきたりだの、早くパートナーを作れ!と急かしたり、マウントをとられるそういった類のことが心底嫌だということが分かった。そして耐えらんない。

伝家の宝刀「結婚したい」おいじりは、もう犬にでも食わしてやりたい

一定の年齢を超えて、結婚してないと、「なんかあるのでは」という見方は今でも根強い。なんなら、若くて、優しくて、おもろくて、お金があっ……など、魅力的な条件が揃っているのに、独り身だと「何故だ!!」なるのは私も不思議でたまらない。(言い訳するが、盛大なブーメランであることは受け止めている。)結婚が社会的な安心安全マークになっているのだろう。

ステータスで、マウント回避出来るなら、こんなに、素晴らしいことはない。……捻くれすぎもいいところか。

散々頼っていた伝家の宝刀「結婚したい」でのおいじりは、もう犬にでも食わしてやって、早くこんなことでマウントをとるような世界はなくなっちゃえばいいと思ってる。
今ここで猛烈に欲しい物、「結婚してるということでマウントをとられない世界」に変更。