変化してきた2人の関係。地元の"相棒"と10年ぶりにゆっくり話した
つい3ヶ月前、地元で約10年間共に過ごした"相棒"ともいえる友人と、約10年ぶりに2人きりで会ってゆっくり話をすることがあった。
地元で共に過ごした10年間、小学生から高校生までバスケットボールを一緒にしていた彼女とは、出会った頃から歳を重ねるごとに2人の関係性は少しずつ変化していた部分があった。それは、共に過ごすことで分かち合えた、2人だけの心地よい"距離感"というものだと思っていた。
小学3年生の時、私は兄と姉の進学先の関係で隣町の学校に転校した。その転入先の学校で彼女とは同じクラスになり、親しくなった。
小学1年生からバスケットボールをしていた私は、「お母さんがやっていたことがある」と話してくれた彼女を半ば強引にバスケットボールクラブに勧誘した。彼女が私にとって初めての同い年のバスケ仲間だった。
クラスも同じだったこともあり、学校でもバスケの時でも一緒にいる時間は長く、お互いに背丈はもとより、学力、運動能力と、様々なことが同じくらいのレベルで、勝手に良きライバルとはこのことだろう、と幼いながらに感じていた。
小学生時代は、とても些細なことで口をきかないような喧嘩もした。しかし、当時は毎日のように会うというのに、直接言うのは照れ臭いようなことを手紙でやりとりすることも多かった。私が一方的に怒っていたりすることもあったように思うが、そのようなことをできる相手も彼女しかいなかったように思う。
気にしていなかった「悪口」。初めて知ったあの頃の距離感と彼女の思い
そんな彼女と、中学生になってクラスが離れてしまった。その中学校は私の通っていた小学校と、隣の小学校から集まるため、人見知りのある私にとってはとても不安なことだったが、部活動は共にバスケットボール部に入ったため、部活の時間は私にとっては安心できるものだった。
しかし、バスケ部に所属して間もない頃だった。同級生の中で私だけが試合に出させてもらうことがあった。そして、それ故に部活の先輩との関係も他の同級生より少し発展が早かったかもしれない。それを同級生にどう思われているか、私は全く考えられていなかった。
そんな時、部内でミーティングの時間が設けられた。細かな原因までは覚えていないのだが、話題の中の一つに、同級生の中で私だけが試合に出ていることをよく思わないことを要因とした悪口を影で言っている人がいる、という話があった。
その悪口を言っていたというのが相棒ともいえる彼女だった。しかし、私はその時、彼女に影で悪口を言われていたことへのショックはほとんどなかったように思う。
それは、彼女が悪口を言っていた、と報告したのが、それまでもそれ以降も私のことを大いにイジメていた双子のひとりだったからだ。つまり、私は双子の言葉をあまり深く信じていなかったし、その悪口の発端が彼女たちであることは容易に想像がついた。
しかし、相棒である彼女は軽い気持ちで言った私に対する嫉妬心の言葉を私自身に知られてしまったことで、私に完全に嫌われてしまった、と思っていたらしい。その気持ちを15年も経って私は知った。
私にとってはそのミーティングのことなどほとんど記憶から消えているようなことであったため、驚いたと同時に、そんな思いをさせてしまっていたのか、とショックを受けた。
思い返してみると、中学生の頃から彼女が私と少しの距離を取るようになり、どこか冷たさを感じることがあった。私にとって、数少ない信頼できる存在であった”相棒”から感じる気を遣っている距離感の冷たさの原因を15年のもの間、私は全く気づくことができなかったのだ。私は彼女に言われていた悪口のことなど覚えていなかったことも含めて、自分の情けなさに胸を締め付けられた。
15年かかったけれど、残っていたしこりを取り除けたよう
もし、中学1年生だった当時に私がそのことを大して気にしていないことを彼女に伝えることができていれば、彼女の心に残してしまった小さなしこりを取り除くことができたかもしれない。そうすればその後の私たちの関係はもっと温度のある深いものになっていただろう。
15年もの年月を経て知ったことだが、知ることで腑に落ちることも多かった。しかし、彼女を苦しめてしまっていたことへの罪悪感は重くのしかかってきた。
それでも、そんなことも話せるようになった私たちは、もうこの温度を下げることはないのではないだろうか、と嬉しくもなってきた。
多くの年月が経ってから知ると堪え切れないほどの苦しいことが、もしほんの少しの勇気で拭えるのならば、中学1年生の頃の私には勇気を持って彼女に自分の気持ちを素直に伝えてみてほしいと教えてあげたい。