もし今、中学三年生の時の私に会えたなら、たくさんの感謝を伝えたい。

自分はどうしてうまく生きていけないんだろう。つらい時期を過ごした

中学三年生。それは、私にとって一番つらい時期だった。別にいじめられていたわけでもないし、受験で追い詰められていたわけでもない(どちらかというと勉強をほとんどしない子だった)。

でも何故かつらかった。よくわからない理由で毎月、もう引退した部活の顧問と号泣面談をしたり、学校に行っても半分くらい保健室で寝ていたり、ご飯が食べられなくなって痩せたり。何度も死にたくなった。

自分はどうしてこんなにうまくやっていけないんだろう、うまく生きていけないんだろう。クラスの雰囲気が好きでなかったり、嫌いな教師がいたり、合わない子がいたり、そんなちょっとしたことが少しずつ重なって大きなストレスとなって返ってきていたのだと思う。

何事にも必ず理由があって、無駄なことなんてないと気付いた

そんな中学三年生、一年間の最後にもなって、ようやく私は穏やかな気持ちでクラスにいられるようになった。みんな違ってみんないい、ということに気が付くことができたことがきっかけだった。

それからの私は、今まで苦手だった人たちのいいところを積極的に探すようになった。
苦手なところばかり見ているから苦手なんだ、人間にはいいところも必ずあるのだから私が見ようとしないだけだ、と。そうしたら、今まで苦手だった人たちの優しい面がたくさん見えてきて、私は自分の視野の狭さを恥じた。自分の視野が狭いせいで自分を苦しめていたのか……。

そしてもう一つ、何事にも必ず理由があって無駄なことなんてない、今苦しいのだっていつか必ず何かの役に立つ、ということにも気が付くことができた。

中学生の時にこの事に気が付くことができてから、何をするにもまず、理由を考えるようになった。なぜ勉強をするのか、なぜ大学に行くのか、なぜ生きるのか。これらの問いはとても興味深く、一生をかけて答えを探していくものだと思う。
特に、なぜ生きるのか、という問いは年齢を重ねると答えも変わってきそうだ。中学生のうちにこの問いを立てられたのは、私の生活をとても充実させてくれた。

自分の決断に感謝。乗り越えられたのは中学生の私の経験のおかげ

今のところ、なぜ生きるのか、という問いの答えは、死ぬためである。人間は生まれた時から「死」というゴールに向かって全員が走り始めているのだ。この考えが今後どう変わるのか楽しみにしている。

この二つの気づきは、私のその後の人生(まだそれから三年しか経っていないが)に大きな影響を与えてくれたと思う。人間のいいところ探し、そして理由付け。これのおかげで心が救われることが何度もあった。

そして中学三年生の私への最大の感謝は、今の高校を選んだこと。
もともとワンランク上の高校に行こうと思っていたし学力もあった。しかし先生の、いい高校だから一回行ってみな、という言葉に従って見学に行き、ここに私は行くんだ!と確信した。

この決断に感謝。高校で出会った友人はみんな素晴らしく、部活も楽しくて先輩もいい人ばかりで、素晴らしい先生との出会いもあり、本当にこの高校にしてよかったと思った。
高校時代ももちろん苦しいことも辛いこともあったが、乗り越えられたのは中学の時の私のおかげ。

中学三年生の私へ。
あの時に命を捨てないでくれてありがとう。
自分と向き合って生きることについて考えたこと、それが今でも私の原動力。