人の一生に起こる運命が予め決められていて、その生涯について書かれている本が、神様の本棚に収められていると仮定してみる。そして、もし神様の本棚にある自分の本の閲覧を許可されたら、私はどうするだろうか。私は、私の人生の全貌を、知りたいと思うだろうか。

人生は想像も出来ないことばかり起き、いつも運命の糸に引かれるよう

私の27年間の人生の中で、想像しうることが起きたことは一度もなく、いつも自分が想像もできなかったことばかり起きてきた。しかしそれはいつも運命の糸に引かれるように、過去の何かと相互に関係しあっていて、とても自然なことばかりだった。
音楽家を目指すようになったのも、憧れの大学に進学したのも、小さい頃から夢だった海外留学をすることも、どこかで何かが絡み合いながら、思いがけない幸運に恵まれ、自分には勿体無いほどだった。

なんとなく「私の人生はきっと、このまま幸運に恵まれて、上々に進んでいく」という根拠のない自信はあったけれど、不安がない訳ではなかった。
だから留学前には、色んな成功者たちの伝記を読み漁っていた。どれだけ成功した人たちであっても、彼らにも芽の出ない若い頃があり、その日々は苦悩と悩みに満ち溢れていた。
そんな人たちの人生に励まされながら、私は勇気を持って運命に挑んでいくことができた。

不運が降りかかっても、どこも手直しのないほど完璧な人生だった

もしパンデミックが起こらなければ、もし体調を崩さなければ、もし留学していなければ、もし第一志望校に合格していなければ……遡って人生のやり直しできるところを探してみても、思いがけない不運が降りかかっていても、どこも手直しのないほど完璧な人生だった。

それは、病気になって療養している期間も同じこと。
大学浪人した時も、4月の末に祖母が頭蓋骨の硬膜下出血という病気になり、半年間ほど人手が必要で私と母でお見舞いをして、その間に希薄だった祖母との関係が少し良好に変化した。
留学を一時休止した時も、姉の出産と義姉の妊娠が重なり、それも人手が必要だった。
私を必要としている誰かがいれば、私は自分の人生よりもそちらに引っ張られる傾向があるようだった。

「この先、どうなりたいのか」と考え、音楽家の夢に区切りをつけた

昨年の2021年に体調を崩し、音楽と向き合えなくなった時、私の心は喪失感よりも安堵感に濃く染められていた。
小さい頃からの夢だった留学中に、私はずっと大きな問いに心を惑わされていた。それは「私はこの先、どうなりたいのか」だった。
学歴を見れば、音楽家になるにふさわしいし、私を指導してくださっていた先生方も、私が音楽家として生きていくために導いてくださっていた。そして私もそのつもりでいたけれど、本心は違っていた。
私の夢は海外留学で終わっていて、その先のヴィジョンが全く描けていなかったのだ。

だから2022年3月、今から数日前の演奏会を最後に私は、音楽家を目指すことを止める区切りをつけることにした。
15年近く努力を続けていた音楽を手放すことは多くの思考の時間を要したけれど、その決断にあまり悔いはない。
私は十分に努力し、たくさんもがき苦しんできた。この経験や得たものは今後の人生にきっと無駄ではないだろうし、音楽はこれからの私の人生の潤いであり宝物になる。

今はまだどんな将来を歩みたいのか描けていないけれど、さっき神社で引いてきたおみくじは大吉だった。今年引いたおみくじ3回中3回が大吉である。
こんなにも思い通りに進まない人生の途中なのに、神様は不思議なことに私に大吉をプレゼントしてくる。

もし今、私の一生について書かれた本が空から降ってきたら、果たして中を見るだろうか。
きっと見ないかもしれない。けど、その本の厚みを確認はしたい。これから先、どれだけの時間を生きて、どんな内容の濃い時間を過ごしていくのか、それぐらいは把握しておきたい。
それだけで私は、希望を持って生きていける。