『彼氏いない歴=年齢。「恋愛は頑張るものじゃない」と思っていたら、21歳になった』というエッセイを以前、こちらに掲載していただいた。
そこで、「今は『彼氏なんていらない』と思ってしまっている」と書いた。

それから1年経ったが、相変わらず、「彼氏いない歴=年齢」という等号は成り立っている。

「恋みくじ大吉」に背中を押された2022の私は、ちょっと違う

でもそんな私、2022はちょっと違うぞ、とも思っているのだ。
その理由は、年始に引いた恋みくじが大吉だったからである。

……いやいや、恋みくじ引いてる時点でどうなの? っていう。
「彼氏なんていらない」って気持ち、おみくじ引く前から嘘になってたんじゃないの、っていう話もあるけれど、まあそれはいったん置いておいて。

「恋みくじ大吉」に背中を押されて、恋してみるか、という気持ちになったのである。
おみくじという「1年の運勢」を示すものを手にしたことで、そしてそれがよい運勢だったことで、この「1年」を大切にしようと思ったのだ。
22の恋愛は22歳でしかできないんだから。
そして23の恋愛は23歳でしかできないんだから、と。

これ、実はすごく大切なことなんじゃないだろうか。
18の恋愛。19の恋愛。20の恋愛。21の恋愛。
たぶんぜんぶ、少しずつ、あるいは大きく、違った色をしていたんだと思う(残念ながら経験しなかったからわからないけれど)。
私にとって18は高校生、19は浪人生、20はキラキラの大学1年生、21は部活からも離れていたしコロナもあったしでずいぶん時間のある1年だった。

「子供の恋愛」が許される限界を感じた瞬間、急に惜しくなった

そして2022年は22の恋愛、途中からは23の恋愛。
大学生活ももうすぐ終わろうとしていて、社会人へ一歩ずつ近づいている。
「子供の恋愛」が許されるのって、このあたりが限界なんじゃないか、なんて。
そう思った瞬間、急に惜しくなった。「頑張らなくていい」と思っていた私は、「頑張らねば」と思うようになった。

といっても、まったく気ののらない合コンに「頑張って」参加して、特に気にもならなかった人と「頑張って」連絡をとって、なかなか見つからないと思いながら、その人のいいなと思うところを「頑張って」探すような、そういう方向の「頑張り」をする気はない。
そのスタンスは譲れない。

じゃあ何を頑張るのかというと。
自分に自信がないからという理由で今まで諦めてきたことを、「頑張って」乗り越える。
本当は今まで誰にも興味を持てなかったわけじゃない。興味を持ったのに、「私ごときじゃ釣り合わない」と、興味がないフリをしたことが、本当はあったんだ。
食事に誘えなかったのは、「私なんかと行っても楽しくないだろうな」と思っていたからだ。

「私ごとき」「私なんか」をやめ、自分をちゃんと認めてあげる

2022年はその「私ごとき」「私なんか」をやめる。
ちょっとそんなふうにネガティブに思ってしまったとしても、「頑張って」みないフリをして、好きな人なんだってちゃんと認識するし、食事にも誘う。
好きな人のためにオシャレしたり、内面を磨いたりする自分のことを、ちゃんと認めてあげる。

それでスベったとしても構わない。
きっとそれが、22の恋愛、23の恋愛だろうから。