エコに関心はあるが行動に移せていない、という人は多いのではないか。私もその例外ではなく、いつも環境に配慮しているつもりになっている。
そんな私の「エコ」に関する2つのエピソードを紹介したい。
エコがどうのこうのではなく、損得勘定で動いていると感じる
例えば、2020年7月からレジ袋が有料化されてからは、私たちはエコバッグを持参するよう促された。私は普段からリュックに折り畳みエコバッグを入れているため、この変化にはすぐに対応することができた。
しかし、たまにレジでお会計する直前になって「あ、しまった!」と思い、3円払ってレジ袋を購入することもある。そんな時は少しだけ損した気分になる。
結局、私は損得勘定で動いているんだなとひしひしと感じる。エコがどうのこうのでエコバッグを持参しているわけではないのだ。環境活動家ではなく、ただの「消費者」なので……。
さらに、「SDGs」が有名になってきた近年、私が通う大学では授業で「環境」について議論することが多くなってきた。数多ある一般教養科目の中には「環境」という名前がついている科目が数多く見られ、「なんとなくいいかも」と思って履修したこともある。
そう、「環境」と聞くとなぜだか耳心地が良い。いままさに旬のトピックであるし、自分が「いいこと」をしているように思えるからだ。
講義に出席して、プラスチックに関する先生のお話を聞き、海岸に空き缶やビニール袋が投げ捨てられているのを動画で観た。プラスチックの破片をのどに詰まらせた鳥が浜辺に打ち上げられている姿が、いまでも印象に残っている。
授業を受けた簡単な感想を書いてレポートを提出し、単位を無事にいただくことができた。めでたし、めでたし。授業でたくさんインプットした「環境」に関する知識のほとんどは、すでに記憶の彼方に消えてしまった。他にもたくさん授業を受けているから仕方がない……。
いま行動を起こさなければ、地球は生命が住みづらい星になっていく
このように、私は今まで「エコ」や「環境」に触れているはずなのだ。しかし、自分自身が主体となって環境保護活動をしていた覚えはない。
果たしてこのままでいいのだろうか。テレビを通して地球の裏側で環境汚染に苦しむ人たちを見ると、「ああ、地球はどうなってしまうんだ!」と焦りを感じる私がいる。
大学の友人がSNSで「地球温暖化を阻止しよう!私たちには時間がありません!」という投稿をしている。
私たちがいま、行動を起こさなければ地球は生命が住みづらい星になっていく!
何か地球のために行動しなければ……!
そう、「プラスチックの小さな破片がのどに詰まってしまった!助けてくれ~!」なんて発言できる鳥たちはいないのだから。
地球を守るのも壊すのも私たち次第だから、いま私たちが何か情報を得て行動していかなくては……。何か行動を起こさなければ……。
そう思えば思うほど気が重くなってしまうのは私だけだろうか?まず何をしていいのかよくわからない。環境保護のボランティアをするには日常生活が忙しすぎて手が出ない。
まずは自らの日常の行動を見直してみることが大切なのではないか
たしかに、私たちはデモ活動に参加するとか大きな行動はしていない。しかし、日常で小さな行動は起こせているのではないか。
例えば、プラごみと燃えるごみを分ける、使わない電気を消す、マイバッグを使うなどだ。このような形で、意識していないが実は行動に移せていることもあるのかもしれない。まずは自らの日常の行動を見直してみることが大切なのではないか。
「人間なんてちっぽけなもので、1人で地球を救うことはできない」と言う人もいるだろう。それは本当だろうか。
いままで、一人ひとりの活動が地球を便利な惑星にしてきた。例えばインターネットはみんなに支持されてきたから、今もそこに存在するのだ。その反面、これまで一人ひとりが環境に悪い行動を取ることを支持してきたから、いま地球温暖化や海面上昇、プラスチック問題が騒がれているのだ。
1人の行動が、長期的に見れば大きな影響を与えている。人間はちっぽけだからこそ、自分の行動を省みることが大切なのではないか。