私のエコ活動。それは「節約」が必然的にそうさせる。
節電・節水などの無駄なエネルギーの削減から、エコバック・マイボトルの使用やリサイクルによるゴミの削減は、家計にも助かることばかりのため、気楽に続けられている。
もう何年もこの節約という名のエコ活動を続けているが、自分にとって嬉しいことばかりと気づく以前に、もっと強い意志で参加するきっかけがあった。

貧困や環境破壊の原因には、少なからず自分も関わっている

小さい頃から発展途上国の貧困に興味があった。というよりは、世界には生活をするために水を運んだり、身を粉にして働いたり、それさえもできずに飢えている子どもたちがいるのをテレビや絵本などで知って、同じ子どもながらに心から同情した。

少しでもこの貧困を無くしたい、貧困についてもっと知りたい、という思いで大学の国際社会学部に入学したが、勉強するうちに貧困の複雑さと、ボランティア活動で実際に活動してもその原因の仕組みを直さないと現状は変わらないことを思い知った。そしてその原因が自分の着ているファストファッションだったりと、大量生産や大量消費を生み出す資本主義経済によって引き起こされている貧困を知り、悲しくなった。

また日本にも貧困があり、それ故こども食堂の存在があったりと、生活水準の高い日本だからこそ目では見えにくい貧困が蔓延っていることも知った。
海外の貧困問題ももちろん大切だが、自分の目の前にもたくさんの問題があり、何より自分の生活に関わっていることで人の不幸せが生まれているのは嫌だった。それらを解決しないで何ができよう、大学で4年学び、そう思った。

なぜいつも買うチョコレートはそんなに安いのか。当たり前を見直し、事実を知る。不買運動をして意思表示をする。私のお気に入りの革の財布は本当に副産物でつくられているのだろうか。私や人々の暮らしを支えるのに、それ以上の人や動植物が苦しんでいないだろうか。
これ以上、自分の生活によって引き起こされる問題に加担したくない。環境問題への取り組みもその一つだった。

レジ袋の有料化で感じた習慣化する大切さ。私のエコ活動の始まりは…

環境問題に関しては、大学付近にあったクリーンセンターの見学も大きなきっかけになった。
一般家庭から出されるごみの量は、塵も積もれば山となるで、毎日沢山の量が排出されている。そりゃ、埋め立てという処理には限界があると実感した。

近年レジ袋が有料化になったりと、SDGsの取り組みが一般的になってきた。
私はレジ袋が有料化になる前からエコバックを使い、袋をもらわないようにしていた。主人は「無料なのになんでもらわないの?」とあまり理解できないようだったが、習慣化することで時間はかかれど彼もそうするようになった。

私のエコ活動はチラシや厚紙を燃えるゴミと分けることから始まったが、今ではケーキの箱や調味料のラベルなど汚れのない紙もリサイクルできるか、一旦立ち止まってから分別するようにしている。
また、本や漫画はレンタルやデジタルを使ったり、服は着倒してから古着回収をしている店舗に持っていきクーポンをもらっている。
身体のために始めた布ナプキンは圧倒的にゴミを出さなくなった。洗髪前に髪をとかすと汚れが落ち節水になるなど、エコな知恵も楽しみながら実践している。

これから取り組む課題もある。
今は生ごみを小さいビニール袋に入れて捨てているため、環境に良い捨て方はないか模索している。夏はコバエがくるため、冷凍してまとめて捨てようか。とりあえず今は無駄な生ごみをださないよう、栄養もあるしと野菜の皮も食べるようにしている。

自分がエコ活動を楽しむことで、周りの人に影響を与えていきたい

正直なところ「地球のため」「いろんな生き物と共存するため」と地球を思う天使の心だけではエコ活動は続かない。
現代はストレス社会だし、働いて自分の暮らしで手一杯の人はたくさんいる。愛する主人でさえ「『地球が泣いている』って表現、わけわかんない」と、エコを理解しない人も存在する。

実際地球の温度が上がって日本の夏が恐ろしい暑さになっても、エアコンをつければ自分の問題は解決してしまう。
やはりレジ袋有料化など、自分の生活にマイナスになっていかなければ多くの人が参加しないのではないか。小さなエコ活動が習慣になればきっと大きなアクションになるはず。
私の場合、環境にいいからだけでなく自分にとって好都合と自分主体になっているが、自分が楽しみながら、そしてちょっと人へ影響したらいいなと思いながら、今日もゴミを分別し節約という名の小さなエコ活動をしている。