仕事も休日も、だいたいひとり。寂しいと思うことはない

私の生活の中で、『ひとり』であることは多い。
住まいは一人暮らしであるし、婚姻に関しても独身であるし、現在は恋人もいない為、交際ステータスもフリーという名の独り。仕事も、10坪程の店を1人で切り盛りする雇われ店長であるが故に、営業は1人で行う。
平日に設けた定休日が休日の為、世間の大半とは休みが合うことも少ない故に休日を過ごすのも、だいたい1人。公私共に、行動に誰かを伴うことが随分と少なくなってしまった。
けれどそれは寂しいと感じることではなく、むしろ慣れてしまった分、一番楽な過ごし方になって来たと感じる。

たまには友人に休みを合わせてもらったり、ちょうど空いていたりなどすれば連れ立って出掛けることもあるが、基本的にはひとりで過ごしている時間が多い。
同伴者を必ず伴わなければならない場合というのも、近頃ではあまり見かけない。むしろあらゆる業種が「1人○○」を提供してくれるくらいである。
1人焼肉に、1人カラオケ。「1名様から予約可能」というホテルラウンジのアフタヌーンティーの予約フォームも先日、目にした。その他にもひとり客向けの「おひとりさまセット」なんてものもよく見かけるし、旅先でもひとり客用プランも充実してきていると聞くし、趣味の世界にも「ソロ○○」と銘打つ活動が増えて来た。
現代は「ひとり」にやさしい世の中になったと思う。

自分ひとりで、好きなものを、文字通り「ひとり占め」して心置きなく自分のペースで楽しむということ。非常に身近なスタイルでありながら、この上なく贅沢で至福の時を過ごせるスタイルであると思う。
この「ひとり」を楽しむということは満足度が高く、満足度に於けるコストパフォーマンスは非常に良い娯楽の在り方であると考えている。
実際に料金という概念に於いても、ひと昔前では1人の利用では割高であったものもあったが、近頃は先述したように企業側の「ひとり」客へのアプローチがむしろ安上がりなプランを提供してくれる場合だってある。

相手に気を遣って過ごすより、ひとりがいい。若い頃から根底にあった

20代後半の今でこそ、このひとりのスタイルを「おひとりさま最高!」とばかりに楽しんでいるが、数年前まではこの過ごし方を堂々とは出来なかった。
しかし、そうは言いながらも意識的なのか否か、割と若い時分からひとりで過ごす時間や機会は持っていたように思う。
これには若い時分の私の性格なども、少し絡んで来そうだと考える。

まだ地元を離れる前の実家で暮らしていた学生の頃から、なにかの係やポジションに於ける人員が「1人」の役割でもあればそこに就きたいと思ったり、交通手段の目処が立ち、無事に行き帰りが出来ればひとりきりでも足を伸ばして出掛けたりと、とにかく時折ひとりになって行動をしたがる者だった。

誰かと協力をして任されるよりは、支障がなければひとりで行いたい。誰かと出掛けるのも寂しくないし、楽しいけれど、待ち合わせたり、落ち合ってからも相手の都合も考えたりするのにたまに疲れてしまう。
だったら、ひとりきりでもいいから、何かをしたい。どこかへ行きたい。相手に上手に気を遣える性質でないことを自分なりに己を理解していたので、気を遣ったり遣わせたり、嫌われないかを考えるくらいなら何も考えなくて済むひとりがいい。孤立をしない程度に、ひとりで行動をしてみたい。
それが若い頃から私の根底にある本音であったと思う。

だが、若すぎた故に本音と釣り合わず度胸は持ち合わせていなかった為、当時は大手を振ってその「ひとり」を貫き通せなかった。
せっかくひとりで出掛けて行っても店の前で1人で入店しても良いものか……と躊躇をしたり、周りからひとりであることを好奇の目で見られたりするのでは……と思っていた。

ところがそれは、歳を重ねるごとに大して気にならなくなり、己の本音に貪欲になって、ひとりでその時を満喫する金銭的、満足度的コストパフォーマンスに重きを置くようになった。
そして周りは思いの外、自分のことなど気にしていないのだ。せいぜい入店時の人数を告げる際と、席に通される時くらいだ。

「ひとりバイク旅」を楽しむ。走行中に見るものは私だけのもの

このような形で、20代の大部分はひとりでの行動を楽しんで来た。そんな私が現在、最も楽しんでいるひとりでの娯楽は「ひとりバイク旅」である。
「ソロツーリング」とも呼べるかもしれないが、敢えて「ひとりバイク旅」と呼ぶ。
原付二種の110ccバイクに跨がり、高速道路ではなく下道で行きたい所へと走って行く。時刻表も、切符や席の予約も要らない気ままな旅だ。

私のバイクの定員は一応2人までだから、後ろに誰かを乗せて走って行くことも出来るけれど、2人で出掛けるならゆっくりと話せる手段で出掛けたいし、一種のスリルと緊張と軽い不自由のもとで、命を預かってまで出掛けたくはない。だからバイクで出掛けるときはひとりで気ままに走って行く。

道中何処かに寄りたくなったら進路変更をしたって良い。都会に溢れる「1人○○」のスタイルやプランも快適だし、楽しむこともあるが、こうして出掛ける手段からすでに自分ひとりきり、何処へ向かうのかも、何をしに行くのかも自在な「ひとり」も楽しいし、私だけの「ひとり」活動だと実感出来るのだ。

バイクを停めれば写真に撮って残せるから、得意のSNSの記録にて知人にも写したものをシェア出来るが、それが叶わない時、特にバイク走行中に見たり、感じたりしたものは本当に私だけのもの。
バイクのアクセルをじわじわとひねっていき、スピードが上がっていく、自分でつくりだした風の中で、見えているものは写真やデータに記録出来ない。
ブレーキを踏み、エンジンを止めて、たどり着いた地点や、出掛けたという出来事は備忘として写真やデータに残して記録するけれど、私が「ひとり」の肌で感じたことは記憶にしかどうしても残せないから、いっそ記憶ごと「ひとり」で噛みしめ、それを楽しんでいきたいと思うのだ。