月に1度ほど、土曜日の朝に、金券ショップで購入した切符を片手に、私は新幹線の改札を通る。
目的地はまちまち。向かう方面はいつも同じ。そして会いに行く人もいつも同じだ。
新卒の就活をするまでは新幹線と無縁の人生を送ってきた私が、今のこのような生活を送ることになるとは、当時は想像もできなかった。

月に1度ほど互いの居住地の中間点辺りで落ち合う、遠距離社内恋愛

学生の頃まで、毒親に支配され続けた人生だった。
毒親から逃げたい一心で、就活は実家から新幹線の距離に本社がある企業に応募し続け、その中の1社に無事入社した。
そこで同期として出会ったのが、今の相方だ。本社での研修期間の後、互いに(これまた新幹線の距離離れた)別拠点に配属されたしばらく後に交際を開始した。
いわゆる「遠距離社内恋愛」という、世間ではあまり馴染みのない(?)関係となった私たちは、月に1度ほど互いの居住地の中間点辺りで落ち合い、そこで共に1泊の週末観光を楽しむことが習慣となった。

でも実を言うと、私は元々旅行が苦手なのだ。
持ち物の準備の段階で、楽しみより煩わしさの方が大きい。観光地を調べたり計画を練ったりするのもめんどくさい(かと言ってノープランは損だから嫌)。見慣れないものを見に行ったり、食べ慣れないものを食べたりすることは、喜びよりはむしろストレスの方が大きい。旅行に行くための費用と時間と気力を考えると、それらを使って他にできることを考えてしまうタイプの人間である。

さらに言うと、気心の知れた友人との旅行だろうと、他人と同室で快眠できたためしがない。ひとり旅を試したこともあるが、気楽である一方で、リアルタイムで同じ体験を分かち合える人が皆無であることは、思っていた以上に虚しかった。

その時を目一杯楽しむこと。彼から多くのことを学ばせてもらった

これほどまでに、旅行に向かない人がいるだろうか?
だから明確な目的がなければ、私は自発的にわざわざ旅など行かないし、行くはずがない。
でも逆に言えば、彼に会いに行くという明確な目的があるから、私は重い腰を上げてでもはるばる旅してしまうのだ。

とは言え、人間はそう簡単に変わらない。旅行プランは彼に任せてしまうことも多々あるし、相変わらず、夜はなかなか寝つけない(しかもそれを彼のいびきのせいにする)。

それでもこんな私に呆れる素振りも見せずに旅先で素直にはしゃぐ彼を尻目に、旅行ってそんなに悪いものではないかも、と思えてきた。

何があろうと、「その時」「目の前」を、目一杯楽しむこと。幅広いことに、興味を持つこと。相方に寛容であること。彼にはできて、私に欠けていることだと気付いた。
それらは旅行に限らず、人生そのものになくてはならない姿勢なのだろう。
だてに遠距離交際しているわけではない。直接言葉にせずとも、私は彼から多くを学ばせてもらっているのかもしれない。

終わりが来るなら「二人三脚の人生という旅」の始まりであってほしい

いつまでこの生活が続くのかは、少なくとも私にはわからない。早くこの距離がなくなってくれればいいのにと願う自分がいる一方で、これもまた貴重な経験だからこの期間を大事にしていこう、と考える自分もいる。
一時期はコロナ禍によって会うことを何ヶ月か見送ったこともあるが、だからこそ当たり前のように次に会うときの話が今できることに、感謝の気持ちが自然と湧いてくる。

いつかこの距離がなくなったとき、私はどんなことを思うのだろう。
旅行と違って、人生は先が読めないことの方が多い。それでも今確実に言えることとしては、「中間点の旅」が終わるときが来るのであれば、それは「二人三脚の人生という旅」の始まりでもあってほしいな、ということだ。

そのときは、少しでも旅行が苦手じゃなくなっていたらいいな。