岩手県に、「かもめの玉子」という銘菓がある。白くて、まさに鳥の玉子のような形をしている。
これは、私が留学先のアメリカで出会った女性の、「ずっと捨てられないもの」の話だ。

ドナさんとキムさんの二人はいつも一緒に過ごし、愛し合っていた

私は、17歳だった2010年の夏に渡米し、1年間の留学生活をアメリカ南部・アリゾナ州で過ごした。秋頃にホストファミリーが変わる「ホストチェンジ」を経験し、次のホストファミリーは、ホストマザーのレイチェルさん、ホストファザーのデイヴさんだった。
その家庭では、デイヴさんの幼馴染のドナさんという女性と、ドナさんの夫のキムさんという男性も住んでいた。当時のアメリカはリーマンショック後で、職や家を失う人が多かったという。ドナさんとキムさんも失業して家を失い、デイヴさんとレイチェルさんが住む家で一緒に暮らすことになったのだ。

ドナさんとキムさんは、当時50代後半くらいだった。二人はいつも一緒に過ごし、お互いを愛し合っていた。

キムさんは心臓病のため、いつも車椅子に乗っていた。食事も上手く取れなかったため、ドナさんがフードプロセッサーで食材を細かくし、キムさんに食べさせていた。時々、キムさんに心臓発作が起きると、ドナさんはすぐに薬を飲ませ、キムさんの背中をさすったり、「大丈夫よ」と、優しく抱きしめていたりした。

子供がいない二人は、私のことを本当の娘のように可愛がってくれた

私は、キムさんとドナさんのことが大好きだった。
キムさんは、とても明るくて、いつもジョークを言うユーモラスな男性だった。キムさんは昔、アーミーに所属しており、ベトナム戦争に行った時の話を聞かせてくれたことがあった。家の中庭でスーパームーンを一緒に観測したこともあった。キムさんの誕生日に、私がピアノで得意の曲を弾くと、キムさんはとても褒めてくれた。

ドナさんは、本当に優しくて、おしゃべりが大好きな女性だった。ドナさんが焼くアップルパイが私は大好きだった。“McDonald’s”の発音を教えてくれたのも、ドナさんだった。
ある日、ドナさんに「あなたの姿は私にとって理想の奥さん像だよ」と伝えると、「私は、私の母から良き妻の姿を学んだわ」と教えてくれた。

キムさんとドナさんには子供はおらず、二人とも、私のことを本当の娘のように可愛がってくれた。ある日、「いつか、職を見つけて住む家も見つかったら、日本人の留学生を受け入れようと思ってるの」と二人が話してくれた時は、とても嬉しかった。夜寝る前に、二人におやすみのハグをする時間は、いつも幸福感でいっぱいだった。

銘菓「かもめの玉子」を、2人に食べて欲しくて渡したのに

留学生活中、私の母はたまに、日本から日本食などの荷物を送ってくれた。ある時、母が送ってくれたのが、岩手県の銘菓「かもめの玉子」だった。
ホストマザーのレイチェルさんが、そのお菓子をとても気に入ってくれた。冷蔵庫に保管しておくと、いつの間にか彼女が全て食べてしまっていたほどに。

レイチェルさん、デイヴさん、ドナさん、キムさん、それから私。5人での生活が5カ月ほど過ぎた頃、東日本大震災が起きた。

「かもめの玉子」を製造する、さいとう製菓も被災した。だが、母曰く、すぐに製造は復旧し、また母が「かもめの玉子」を送ってくれた。私は、ドナさんやキムさんにもそのお菓子を食べて欲しかったので、すぐに渡し、二人とも冷蔵庫に保管してくれた。

それから半月ほど経った頃だろうか。キムさんの病状が突然悪化し、入院することになった。2週間ほどの入院生活が続いたが、ある日高校から帰ると、デイヴさんに「キムが亡くなった」と言われた。頭が真っ白になった。

キムさんの死は突然で、「ありがとう」も、「愛してる」も、きちんと伝えることはできなかった。ただ眠っているだけのようなキムさんにハグをしても、彼からそれが返ってくることはなかった。私は、本当に悲しかった。涙が枯れるほど、泣いた。

冷蔵庫に一つだけ残った小さな和菓子は、ドナさんの愛情そのもの

冷蔵庫には、「かめもの玉子」が一つ、残っていた。キムさんの死後、何日か過ぎ、ドナさんにそれを食べないのか聞いたが、彼女は「これはキムのだから食べられないわ」と答えた。その「かもめの玉子」は、その後も冷蔵庫に残ったままだった。
彼女にとってそれは、「ずっと捨てられないもの」だった。

私は、二人から「人を愛するとはどういうことか」を教わった。冷蔵庫に残っている純白の小さな和菓子は、ドナさんのキムさんに対する愛情そのものを現していた。

私にとってアメリカにいた期間は1年だけだったが、その短い時間の中で、キムさんにとっての人生の最期を一緒に過ごすことができた。キムさんとの別れは辛かったが、キムさんと出会えたという事実は、とても幸せなことだったと思う。

今でも、スーパーで「かもめの玉子」を見ると、アメリカでの生活を思い出す。
キムさんは、きっと天国で元気に過ごしているだろう。天国で「かもめの玉子」の優しくて甘い味を噛みしめていると、私は信じている。