私の担当は水色で、妹は桃色。その反動でピンクだらけに

昔、私のカバンはとにかくピンクで埋め尽くされていました。財布、スマホカバー、水筒、ペンケース、イヤホン……全部がピンク。
21歳、大学3年生のある時、カバンの中から次から次へとピンクの小物たちが出てきて、気づいたら机の上がピンクだらけで、それが恥ずかしくて「あれっ!?なんかピンクだらけなんだけど(笑)」と急いで片付けました。

私は決してピンクタイプな女ではなかったのです。ゼミの中では発言もして優等生タイプ、サークルでもチーフポジションでみんなをまとめるみたいな、どっちかというとブルータイプな女でした。それと、一番好きな色と聞かれてピンクと答えることもありませんでした。

では、私をピンクに染めるものは何だったのでしょうか。
おそらく理由は幼少期の反動です。
私には2歳年下の妹がいます。物心ついた時からずっと一緒の妹は、私と顔がそっくりで母の趣味のおそろいおかっぱあたまでした。
そんな2人を決定的に分けたのが、“身につける色”だったのです。髪の毛だけではもちろんなく、洋服もお揃いにされることの多かったわたしたちは、Tシャツ、ワンピース、靴、帽子、カバン、色々なものを色違いで与えられていました。
その時の担当色はかならず私が水色で妹が桃色だったのです。

「おねえちゃんなんだからね」という言葉を、なんの疑念もなく受け取っていた幼い頃。妹に桃色が与えられることは私の人生にとって至極当たり前のことでした。
ただ、心のどこかで「わたしもピンクが欲しい」と思っていたのかもしれません。

ずるをした結果、「私がピンクを選んだらダメなんだ」

ある日、祖父が私と妹に本のプレゼントをくれました。おんなじ包装紙に水色と桃色のリボン。「好きな方を選んで」と言われました。
普段のように色が最初から決まっていないことを良いことに、私は妹を押し退けるようにして桃色のリボンの本を取りました。その時、妹は何一つ文句を言いませんでした。

ワクワクしながら包装紙を破って出てきたのは、どちらかというと男の子向けのプーさんの雑誌。隣の妹の手には女の子向けのミニーちゃんの雑誌がありました。
その時初めて私は猛烈にピンクに、女の子らしさに憧れを抱いていることに気づきました。祖父はもしかしたらいつも水色で我慢している私にも良いことがあるよと、わざとそのチョイスにしていたのかもしれません。ですが私はずるく、僅かなチャンスを手にしたいとばかりに桃色のリボンを選んだのです。

この出来事は自分の中の憧れを認識すると共に、「私がピンクを自分から選んだらダメなんだ」とさらに私をピンクから遠ざけました。
また、同時にピンクに対する執着を生んだのです。

カラフルに、自分らしくピンクを添えて生きていく

そして月日が経って、アルバイトで稼いだお金で好きなものを買えるようになると、持つ小物の色のチョイスが無意識にピンクになっていったのです。今思うと、あれは人生でぽっかり空いたピンクの穴を必死に埋めていたのかもしれません。

そして冒頭の大学3年生のある日、ふとした時にピンクに囲まれていると気づいた私は、少しずつピンクの頻度を減らしていくことになります。

ちょっと前にとある記事で、外国では女の子は水色というイメージがあって、ディズニーの女の子キャラクターの多くは水色のワンピースやドレスを着ていると知りました。
その記事を読んで一瞬「おっ」と思いましたが、やっぱり女の子の色といえばピンクです。ピンクは女の子を最高に女の子らしくしてくれる色だって今でも思います。

今、私のカバンはカラフルで埋め尽くされてます。財布は黒、スマホカバーは透明、水筒に至ってはブルーです。ひとつだけイヤホン入れはピンクです。
こんな感じで私は、カラフルに自分らしく少しのピンクを添えながら、今日も生きているのです。