水色のソレを見た先生は「間違ったのが来ちゃったかも」と言った

教卓の前まで来て水色のソレを見たとき、しまった、とすぐに思った。そして小学生ながらに、この小学生だらけの空間で誰よりも錯乱している大人、担任の栗田先生に同情心さえも芽生えた。

「習字道具、間違ったのが来ちゃったのかもしれない」
先生は漸く辻褄が合ったと言わんばかりに安堵の表情を浮かべながらも、少し申し訳なさそうにそう言った。私は再び、しまった、と思った。
「いや、大丈夫です。それで合ってます」
私と先生のただならぬ様子に、ピンクを持った女子と水色を持った男子が騒めきだす。
「水色にしたの?本当に?」と先生。
「はい。だから大丈夫です」
不思議そうな表情の先生から水色の習字道具を受け取り、自分の席に戻る。

小学校3年生の出来事だっただろうか。
私はあの数分間を、今でも鮮明に覚えている。寧ろそれ以外のことは覚えていないくらい、小学校3年生の思い出として堂々と君臨している。

悩むことなく選んだ水色の習字道具。まさか怪訝な顔をされるなんて…

私は水色の習字道具を選んだ。
高校生のお姉さんが持っているような、スクールバッグ風のデザインの習字道具セットには、黒×ピンクと紺×水色のカラー展開があり、注文パンフレットの写真を見た私は、そもそも水色が好きだというのもあったが、水色のほうが大好きなあの少女漫画の主人公が持っていたスクールバッグにそっくりだという理由から、後にあんな数分間を生むことなど知る由もなく、数秒で決めてしまったのだ。

何かと厳しい母親も、「女の子はこうあるべき」という固定観念はなく自由に選ばせてくれるタイプだったので、私の注文は何の障害もなく滑らかに流れていった。
そして、いざ、どんぶらこどんぶらこと辿り着いたモノを見た先生の反応で、私は初めて気づいたのである。水色の習字道具は男の子用だったのか、と。

別にピンクが嫌なわけではなかった。ただ水色のほうが可愛いと思ったのだ。
こんなに怪訝な顔をされるなら、ピンクにすれば良かった。

勿論、パンフレットには「男の子用」「女の子用」の表記は無いし、現にこうしてカラーを選ぶことができる。ジェンダーレスの動きがこの頃もあったのだろう。
しかし、それがまだ教育現場にまで降りてきておらず、先生や子供たちに浸透していないのが現状だった。水色の習字道具は暗黙のルールで男の子用だったのだ。

何度も尋ねられた「水色の理由」。並べられたピンクを見て溜息が出た

私は先にこの出来事を「数分間」と片付けたが、訂正させて欲しい。決して数分間の出来事で終わる話ではなかった。

習字の授業がある日は憂鬱になった。
まず、登下校中に友達のお母様や近所のおばちゃんおじちゃんに「お兄ちゃんがいるの?」と尋ねられる。勿論、クラスメイトにも尋ねられる。
私に兄はいない。
もう、そうだよと嘘をついてしまいたかったが、それはすぐにばれる嘘なのでやめた。
「お前、男なん?」とデリカシーの欠片も無い一部の男子から言われたこともあった。
「違うよー、水色が可愛かったんじゃもん」と笑って答えたものの……。家に帰って落ち込んだ。

しかも、みんな聞いてくるくせにすぐ忘れるようで、私の水色の習字道具を見る度に驚き、同じことを言うのだ。
教室の後ろの棚に並べられたピンクの並びの中に、1つだけ混じる水色を見ては、ため息が出た。

どうして私は「女の子だからピンクでしょ」と思えなかったのだろう。右隣のピンクの持ち主まほちゃんも普段から「女の子だからピンクが好き」と言っていたし、端から水色は選択肢に無いのが普通の女の子の思考なんだ。
習字の授業は楽しみにしていたし、何より習字道具が届くのが待ち遠しかったはずなのに、私は徐々に習字道具をぞんざいに扱うようになった。
他に手に提げる荷物があれば、水色の習字道具を隠すように体側に持った。

嫌な思い出がある水色の習字道具。それでも、水色は大好きな色

中学校、高校では習字の授業が無かったため、水色の習字道具を使うことは無かった。文化祭の準備で、小学校のときの習字道具を持ってきてほしいと言われた時は「もう捨てちゃった」と迷わず答えた。
「女の子はピンク」の考えが薄れてくる年頃ではあったが、普通男の子が選ぶ水色の習字道具を小学生にして選ぶような「変わった子」というラベルを貼られる気がしたのだ。
そんな嫌な思い出がある水色の習字道具は、小学校卒業後も私の勉強机の横にずっとかかっていた。
やっぱり、水色のそれは可愛かったからだ。

大人になった今も、水色は私の大好きな色である。
しかし、私の持ち物は割とピンクのアイテムが占めている。
何故か。
ピンクは恋愛運を上げる色だからだ。
私はピンクの持つパワーに必死にすがっている。色を選ぶ時、好みではなく風水的な要素で決めるなんて。私も歳をとり貪欲になったものだ。
あ!もしや最近ロクな恋愛ができないのはあの時、ピンクを選ばなかったせいではなかろうな?