25年の人生を振り返って、一番大きな決断だったのは、たぶん高2の夏の出来事だったと思う。

どうしても聞きたい講義と、大切な試合。悩んだ末に私が選んだのは

高校1年生の時から、私は将来どうしようと考えているような人だった。部活のない日はあちこちの大学のオープンキャンパスに行っていた。
高校2年生のある梅雨の日、教室の隅に置かれた進路イベントのチラシを見つけた。その中の一つの講義テーマから目が離せなくなった。
「家族と暮らせない子どもと社会的養護」
当たり前のように家族と暮らしている自分には、衝撃的な内容だった。どういうことだろうと感じて、この人の話を聞いてみたいと強く思った。
ところが開催地は隣の県。一人でなんて行ったことがない。しかも日程を見て頭を抱えた。当時所属していた卓球部の練習試合と被っていたのだ。悩んだ。副部長の、女子チームのキャプテンの自分が試合に出なくてどうする。そんな思いもあった。でも、あの教授の話を聞かねば、とも同時に思っていた。

数日悩んで、「やっぱり行きたい」と決断した。試合の日1か月前。顧問の先生の職員室に、チラシをもって話をしに行く。心臓が爆発しそうなぐらい緊張していた。ノックする。
「M先生、いらっしゃいますか?」
先生が出てきた。「どうしたんですか、Yさん」(Yは私の本名)
「実は、私、このイベントにどうしても行きたくて、聴きたい講義があって。でも、来月の練習試合と被ってしまっているんです」
声が震える。でも、言わなくちゃ。
「副部長だし後輩たちにも迷惑かけちゃうことにはなるんですけど、練習試合、休ませてもらうことって……できますか?」

言っっっったぁぁぁぁ。息が荒い。多分、人生で1、2を争うぐらい不安げな顔をしていたと思う。

2、3秒間をおいて、先生は口を開いた。ほんのわずかな沈黙が、ものすごく重く感じた。
「遠いな。近いほうには行かないの」
「近いほうじゃ、聴きたい講義はやってなくて……」
「そうか。うん。わかりました。気を付けて、行って来て」

許された。やった。思わず目を見開く。
「……!!!ありがとうございます!!」

「この人のもとで学びたい」と、体に電流が流れた

そうして迎えたイベント当日。午前中授業の日だったので、授業が終わるとすぐに、いつもの駅とは違う方へ歩き出す。
会場までは学校から2時間弱。長い長い道のりだった。県境を超えたとき、「やばい、私ひとりで県こえた」と心の中で小躍りしていた。
そうしてたどり着いた会場。講義のブースはどこだと探し回る。たくさんの高校生であふれかえるなか、迷いながらなんとかみつける。適当に昼食を済ませ、開始を待つ。

控えめに言って、今までの授業の何十倍も集中していた。
教授は最後に、「施設や里親さんのもとで暮らす子どもたち、いろんな事情を抱えている子どもたちがいます。そういう子どもたちも含め、すべての子どもの幸せの実現に向けて、一緒に考えてくれる人を待っています」と締めくくった。

背中に電流が流れた。この人のもとで学びたい。強い衝撃で、講義終了後、母に一番の強い気持ちで、たくさんのびっくりマークを使ってメールを送った。
「講義、終わった。私、この大学に行く!!!!!ここ、第一志望校にする!!!!」

あの時の自分の勇気に、最大級の拍手を送りたい

そこからはもう一直線だった。オープンキャンパス巡りも、第一志望校に行くだけとなった。入試で必要な小論文もひいひい言いながらも対策した。
あの日決めた第一志望校は、母校になった。

「練習試合に出ない」という決断があったから、目標ができて、そこに向かって突っ走れて、最高の、「黄金のモラトリアム」とも言える大学4年間を過ごすことができた。
だから、あの時練習試合に出ないことを許してくれた顧問の先生には、感謝の言葉を尽くしても尽くしきれない。ありがたいという気持ちでいっぱいだ。と同時に、あの時の自分の勇気に、最大級の拍手を送りたい。
人生を変えるときには、きっと大きな決断がつきものなんだ。