「あんたは黒が似合うよ。とにかくはっきりした色を身につけなさい」
当時、小学生低学年だった私は、そう繰り返す母の言葉を褒め言葉と受け取った。
横で頷く父。私のクローゼットには黒、白、時たま赤やはっきりした水色の服が並んだ。

あれから20年、まさかピンクのネイルにピンクの小物、ピンクの服まで増えているとは誰が想像しただろうか。「あなたはピンクが好きだよね」と周囲から言われるくらいに。
これは、心配性で過干渉な母から離れた自分が見つけた、新しい私だ。

ピンク色は「私のような人間が持ってはいけない」と思っていた

我が家では母の意見が絶対で、逆らうことは許されないことだった。薔薇やピンクが好きな母と、母から「ピンクが似合う子」の認定を受けた5歳下の妹、そしてメンズライクな色が似合うと言われて育った私。ピンクや淡い水色は女の子らしさの象徴のような気がして、ふわふわとした妹の色であり、私とは無縁のイメージを持っていた。
私は、メンズライクなかっこいい色が似合う自分を誇らしく思っていたし、それに見合うようなキリッとした人でありたいと本気で思っていた。
しかしその一方で、母と妹はピンクを着ることが許された仲間のようで、今思うと疎外感を感じていた反動でそう振る舞っていたのかもしれない。

母による刷り込みは高校卒業まで続く。
当時の好きな色はオレンジとイエロー、ライトグリーンのシトラスカラー。相変わらずモノトーンの服が多く、小物は好きな色で揃えていた。ピンクへの印象は、「女の子らしい可愛い子が持つものであり、私のような人間が持ってはいけない」へと変わっていた。
体調を崩して身も心もボロボロになってしまった影響もあり、自分自身の確立も揺らいでいる時期だった。今までの自分を作り替えなければ生きていけないかもしれないという、その後10年続く大きな転換期に差し掛かっていた。

新たな自分を見つけるために取った母との距離。ピンクの価値観も変化

大学、社会人と歳を重ねていくにつれ、私は母から距離を取るようになった。育ててくれたことには感謝しつつも、その支配から離れ、新たな自分を見つけるためだ。それは私のピンクへの価値観にも変化をもたらした。

憧れの色から、好きな色へ。
女の子らしさの象徴から、私らしさの色へ。

一番最初にピンクのペンケースを買ったときのことはまだ鮮明に覚えている。
社会人一年目、次は先輩になる時期だと意気込んでいた初春のこと。パッと目を引くフレンチローズのスリムなペンケースが私を呼んでいる気がした。
このペンケースがあれば、気持ちを新たに強い自分になれるかもしれない、そう思ったことがきっかけだ。
そうは言ったものの、実際に持ち歩いてからはしばらく落ち着かなかった。
私がこれを持っていて変ではないだろうかと周囲の目を気にしながらも、見るたびに新鮮な気持ちにさせてくれるこのペンケースはお気に入りにノミネートした。

幼少期からのピンクのイメージは払拭され、今は私が好きな色のひとつに

このペンケースをきっかけに、私の持ち物にピンクが増え始めた。最初はローズピンク、徐々に淡いベビーピンクまで。幼少期からの反動かもしれないが、今は一番好きな色がピンクと胸を張って言えるほど、ピンクをチョイスすることに抵抗がなくなっている。
ピンクを身につけると気分が良く、元気な気持ちになったり、穏やかな気持ちになる。

ピンクは女の子の象徴という幼少期のイメージは払拭され、ただ私が好きな色の1つというだけになった。これから先、ピンクではなく違う色を好きになるかもしれないが、それは今までピンクを身につけなかったこととはわけが違う。
元気をもらえる色、落ち着く色。これからは誰かに誘導されたり、制限されたりするのではなく、自分の好きな色を好きなように選んでいきたい。