中学生になった時、運動部に入部するつもりだったけれど、何だかどれもしっくりこなくて。体験入部の期限にいっぱい悩んで、当時から好きだった絵をやってみようかと美術部を選んだ。
素敵な絵を描く憧れの先輩は、いつしか一番仲の良い人に
美術部と言っても、1年に何度かあるコンテストや写生大会に参加すればあとは自由という、何ともふんわりした活動内容。みんな優しくて、絵の上手い先輩も沢山いて、毎日取り留めのない会話で笑って、すぐに打ち解けられた。
そこで出会った、ひとつ上のT先輩。いつも高い身長を小さく折りたたんだ猫背で1人スケッチブックに向かっていた彼女は、私にとって格別のひとだった。
まず絵が上手い。それはもうとんでもなく。10年以上経った今でも、あれが到底中学生レベルの絵だったとは思えないし、今の私でも描けないくらい本当に素敵な絵を描く人だった。
何がきっかけだったのかもう覚えていないけれど、少しずつ私と話したり一緒に絵を描いてくれるようになって、好きな本や音楽の趣味も似ていたこともあって、すぐに部で一番仲の良い先輩になった。
おすすめの本の貸し借り、お気に入りのアーティストの話、当時読んでいた漫画のこと。写生大会では並んで絵を描いて、2人で賞も獲った(先輩は当然最優秀賞で、私は佳作だった)。
そして毎日、ルーズリーフに描いた絵をリングノートに挟んで交換した。
先輩が私のためだけに、こんなに素敵な絵を描いてくれているという優越感。授業中もノートのページを捲っては、先輩の絵を眺めた。尊敬と憧れ、そしてほんの少しの嫉妬が混ざったあの感情は、きっとときめきだったのだろう。
変化し始めた関係。ルーズリーフには「すきです」の言葉
あっという間に一年が経ち、私たちは進級した。先輩が受験で部を離れるカウントダウンが始まる頃、私たちの関係は少しずつ変化を見せ始めていた。
最初は確かに尊敬と友愛だったと思う。でも毎日交換するルーズリーフに素敵な絵とともに、小さく、でも確かに「すきです」の一言が添えられた時。
私の「好き」と先輩の「すき」が違うことは、今考えればすぐに分かることだったけれど、恋と尊敬を混同していた私は彼女に期待させてしまったのだ。
それから毎日、先輩は私にラブレターをくれた。
何気ない日記のような話と素敵な絵、そしていつも隅の方に小さく「すきです」と綴られたそれは、私を確かに幸せにしてくれていたけれど、果たして私は先輩に何か返せていたのだろうか。
先輩の「すき」に私の「好き」を充てがうだけの曖昧な関係のまま、先輩の引退の日。私はその時描ける最高の一枚をなんとか間に合わせて、手紙と共に先輩へ渡した。
文化部は、運動部と違って明確な引退時期がないことも多い。福岡にしては珍しく、11月の終わりに雪のちらつく寒い日だった。
雪が降る度に解くリボン。先輩からの20ページのラブレター
先輩とひとしきり思い出話をした後、「じゃあ」と立ち上がった私に先輩がそっと冊子を差し出した。自由帳の表紙を取って真っ赤なリボンで綴じられたそれは、先輩のイラスト集で、先輩は私へのクリスマスプレゼントだと言った。
1ページ1ページ、丁寧に描かれた素敵なプレゼント。私のために、受験勉強の合間に描いてくれたのだ。
家でゆっくり観てほしい、と先輩は私の手を握って、今にも泣きそうな顔で笑った。それから、頷くしか出来なかった私の手をもう一度握って、手の甲にそっと口付けた。
ほんとうにすきだったよと、先輩はまた微笑って、私を1人美術室に残していった。
漫画みたいで、現実味がなくて、帰り道の記憶がない。鞄の中の冊子だけが、あの出来事が夢でなかったことを示していた。
1人になって、そろそろと冊子を開く。ページを捲る度、とても時間をかけてくれたのが伝わった。最後のページは、いつも貰っていたラブレターと違った。
真ん中に震えて書いたような弱々しい文字で「あいしてます」と一言。何だか分からないけど、思わず泣いてしまったのを覚えている。
11年経った今なら、あれはきっと恋だったと言えるけれど。当時同じ気持ちで好きを返せなかった私を、私はずっと許せないままでいる。そうして雪が降る度に、思い出しては時折リボンを解くのだ。
年々色褪せて、けれどずっと捨てられないでいる、20ページのラブレターを。