10年前に大好きだった恋人がくれた海の写真集が、未だに捨てられません。

彼とお別れした後、私は結婚したし(離婚したけど)、今でも彼を恋しく思ってるわけでもないし、未練もあるわけでもない。
私が捨てられないのは多分、彼にきちんと向き合うことが出来なかったことを忘れないためなんじゃないかと思います。

意見を言わずぶつからないことで、彼を尊重しているつもりだった

彼と一緒にいた頃は、毎日とにかく楽しくて、毎日爆笑していたような日々でした。
たった1年で終わってしまったけど、思い出すと懐かしくて泣きたくなるような、そんな貴重な短い思い出です。
でも、私は、彼と誠実に向き合うことが出来なかった、という自分の心残りもあるのです。
「自分はこうしたい」「自分はこういう風に思う」「自分はこういうことが嫌だ」と伝え続けてくれた彼に対して、私は向き合うことが出来ませんでした。
だって、彼とはこれからの人生に対する考え方も、結婚感も、(そんなの考えなくたってよかったのに)全然違ったし、価値観や考え方が違う人とはぶつかっても仕方がない、それはコスパが悪い、と思っていたから。
せっかく楽しく話してたのに、なぜ適当に話を合わせることをせず、場の空気を壊してまで自分の意見を伝えてくるんだろう。
あの頃の私には、理解出来ませんでした。
あの頃の私は、自分の意見を言わないことで、ぶつからないことで、彼を尊重しているつもりでいました。
今なら、私がいかに弱虫で、不誠実で、彼を本当の意味で愛せていなかったかが分かります。

愛情をはねのけたのは私だと気づいたのは、彼がいなくなった今

「いつになったら自分の意見をちゃんと言えるの?」
と、彼に言われたことを今でも覚えています。
あの頃の私は、2人の関係を壊したのは遠慮なくぶつかってくる彼のワガママさだと思っていました。
でも、私がやっていたのは、彼の気持ちを尊重することではなく、彼とぶつかる事から逃げ回ることだった、と気づけたのは、何年も経って大人になった今です。
あの頃理解出来なくて、ただウザいだけだった彼の真摯な愛情をはねのけていたのは私だった、と気づけたのは、彼の連絡先も知らない大人になった今です。

今、私が思うのは、やり直したいとかではなく、あの頃の自分がいかに愚かで弱虫だったかを、ちゃんと学べたこと。
やっとあの頃どんなにあなたが真摯に私に向き合おうとしてくれていたかを理解出来たこと。
彼に伝える(今となっては不可能だけど)のではなく、自分で認めてあげることが、私がひとつ大人になるためのステップなのかな、ということです。
誰かに自分を認めてもらえないと自分の気持ちを昇華出来ない子どものままではいたくないと、今の私は思うのです。

わかり合おうとした彼がくれた、海の写真集が捨てられない

だから、あの時、傷つきながらも、寂しい思いをしながらも、私とわかり合おうとしてくれた彼がくれた、私がいつか行きたいと言っていた海の写真集は捨てられないんです。
捨ててしまったら、人と向き合うことからまた逃げてしまいそうな気がするから。
私の学びを、忘れないように、いつか彼のように、何回ぶつかっても人と向き合えるような勇気を持てるように、この写真集はこれからもずっと手放さないでいよう、と思うのです。