ずっと捨てられないもの。それは「一番忘れたいのに忘れられない過去の恋愛」だ。
今は黒歴史と言えるほどの笑い話だが、しばらくは「笑い話にできるのかな」と思っていた。そんな黒歴史の始まりは今から3年前の22歳、新入社員時代だ。

先輩と念願の初デートへ。「推し」から「好きな人」へ変わった

入社と共に一人暮らしを始め、新生活に胸を躍らせながら配属先に出社した。そこにいたスラッとした高身長の先輩が目を惹いた。
見た目はいかついが、商品を丁寧に扱う姿がギャップだったのか、「意外に優しいんだ」と思った。同期同士で「どの先輩推しか」と話題になり、すかさずその先輩の名前を挙げた。
しかし、その先輩はとにかく女の子が大好きだった。距離が近く、酔うと膝枕などをして絡む。飲みに行くと色んな女の子の家に泊まっていた。そんな「悪い部分」は知らずに「推しの先輩」と言い続けた。

平成が令和に変わる日、お祝いしようとグループ飲みがあった。その時初めて先輩と近い距離で話をし、「やっぱりカッコいい」と改めて思った。その後、連絡先を知り、毎日連絡を取り合い、念願の初デートが決まった。場所は先輩の地元のお祭りだった。

屋台がずらっと並び、鮎の塩焼きを買ってもらった時、おじちゃんに「優しい『彼氏』だね」と、言われて照れる。人混みではぐれそうだったところを、サッと手を出し繋いでくれる、というキュンキュンしまくりの状況だった。
今思うと「そりゃ、女の子慣れしてるからスマートだろう」と、なるが、当時の私は幸運にも、「悪い男」に出逢ったことがなく、その判断ができなかった。その後もデートを重ね、推しの先輩から「好きな人」へ変わっていった。

完全に「都合のいい女」。それでも好きが増し、沼っていく

しかし関係はずっと平行線。そんな曖昧な関係の中、付き合っていないのに泊まる事となった。その時、腕枕だけだったが、「これは友達ではやらないよな」ともやもやが残り、たまらず「なんで腕枕したの?」と電話をした。そして先輩の一言、「したかったから」。
すかさず「私は好きだし、友達であんな事はしない。正直私の事どう思ってるの?」と聞いたが、先輩は「俺、好きが分からへんねん」。
今では「なに意味分からん事を言ってるの」と言えるが、当時の私は予定外の告白で緊張のあまり思考停止状態。その後「〇〇ちゃんのことは好きだけど、同じ会社の子だから付き合えない」と言われた。
ここで、清く立ち去るべきだったが、できなかった。距離を置けない、弱い自分がいたからだ。その後も関係は変わらず、好きが増し、沼っていった。

今だから分かるが、完全に「都合のいい女」。けれども一緒にいる時間だけは幸せで、その一瞬でも良いから幸せを感じていたかったのだ。

この関係は一年続き、精神はボロボロ。「依存」していたのだろう。
会っている時は「幸福感」を味わい、静かな部屋を見て好意のない現実の「虚無感」で泣く。そんな感情のジェットコースターを繰り返していた。
「どうして幸せになれないんだろう」と不意に涙が止まらない時もあった。そして先輩に「彼女」ができ、この苦しい恋は終わりを告げた。

もし過去の自分に会えたとしても、放置するだろう

もし過去の自分に会えたとしても、放置するだろう。なぜなら「痛みからしか学べない」事もあるからだ。この痛みがあるからこそ、本当に求めているものが明確になり、人を冷静に判断するようになった。
この経験は私の歴史のページに大きく刻まれ、もう二度と同じ経験はしたくないが、捨てる事ができないものだ。この経験が自分を強くし、レベルを上げてくれた、と断言できる。

今、私の過去と同じような苦しい恋をしている方もいるだろう(他人を傷つける不倫や浮気は除く)。
頭ではダメだと分かっていても、離れられない。その気持ちは痛いほど分かる。
苦しい思いをしないに越したことはないが、その苦しみが「唯一無二の個性」に繋がり、やがて未来への糧となり、あなたを助けてくれる。苦しい今があるからこそ、人は成長し、多くの人を助ける事ができるのだ。

もう二度と会えないし、会いたくないが、先輩にはとても感謝している。本人には直接伝える事は出来ないが、この気持ちをここに残し、他の方の幸せに繋がればと思い、このエッセイを終わろうと思う。