最初に宣言しておこう。社会人3年目の私は、ピンクという色が好きだ。
いや、もっと正確に述べるなら、「ピンクを好きでいられる自分が好き」ということかもしれない。
しかし、昔から変わらずに好きな色なのかというと、そんなことは決してなかった。ではなぜ、今の自分がいるのだろう。
女の子らしさの象徴とも言える色。そんなピンクと私の関係に目を向けながら、少し過去を振り返ってみようと思う。

ピンクが身近だった幼少期。その反動からピンクを遠ざけた

私には3歳上の姉がいる。小さい頃から仲は良く、私はいつも姉に憧れていた。
今から10年以上も前のことになるが、幼稚園や小学校の頃には姉が描く絵も、着る服も、話し方も、全てを真似しようと必死だった。

姉との比較もあったのだろう。私は周りから「一番年下の小さい子」と扱われることが多く、その結果、身につけるものは自然とピンク色、当時の私からしたら“子どもっぽいもの”が多かった。家族で服を買いにショッピングモールへ行って、少し大人っぽいカーキ色のワンピースを買ってもらう姉を羨ましく思ったことはよく覚えている。

そんな経験もあって、いつしかピンク以外を身につける=大人になる、というイメージができあがり、ピンクを好まない私が生まれていた。

その価値観は変わらないまま時は流れ、私は中学生になり、高校生になり、そして2016年に大学に入学した。
身体は健康であったものの、私はこの頃に大きな悩みを抱えることになった。大学の新しい環境に馴染むことを意識しすぎ、他人の前で自然に振る舞うことができなくなってしまったのである。

女性らしくあろうとして、数学の問題に取り組むことが大好きな自分を隠そうとする。常識人だと思われたくて、妄想に耽って独自の世界観に浸る自分を無かったことにする。
そんな振る舞いを続けるうち、徐々に私は疲弊し、いつの間にか強い孤独を感じるようになってしまった。

着物のピンク色が新しい世界を見せてくれた

孤独から抜け出すきっかけは、“着物”だったように思う。そしてその記憶を彩るのは、鮮やかな明るいピンク色をした、一枚の羽織である。

大学の講義で、日本舞踊に触れる機会があった。それまで触れたことのなかった芸事の美しさや、着物だからこそ許される、パッと目を引くようなデザインに、私は夢中になった。そして近場で骨董市があるというので足を運んだ時、着物を手に入れたのだ。
その一つが、前述したピンク色の羽織だった。ピンクは敬遠していたはずの私だが、そこには色彩の鮮やかさに心を奪われ、素直に「あ、これ着たい」と感じた自分がいた。

着物の柄が持つ奇抜さや独自性は、他では真似できないものでありながら、着物の世界では当たり前に存在している。私は、着物を身につけるという手段を使うことで、自分自身の個性を表に出せるようになったのである。
さらに少しずつではあるが、「着物の柄が奇抜であってもなお美しいように、私自身の個性も誇って良いのではないか。自分の感性を大事にしても良いのではないか」と思えるようになった。

その時々の感性を大切に。好きなものが好きな自分が好き

この出来事があってからだろう。好きだと感じれば、それがピンクでも青でも黒でも躊躇せずに手に取れるようになったのは。それは私にとって、ピンクに対して勝手に抱いていた偏見や、自分自身を認められない辛さを手放して、自然体でのびのび生きることでもある。そして私はそんな自分を好きでいられている。
それゆえ、冒頭の「ピンクを好きでいられる自分が好き」という言葉につながるのだ。

もしかすると、今後の人生の中でピンクに心が動かなくなる時が来るのかもしれない。それはそれで良いと思っている。きっと感性は常に変化し続けるもので、だからこそ世界は面白い。
ただ、その時々に味わう感動、自分の感性は確かなものとして大事にしていけたら、とも思う。これはきっと、他人ではなく自分の軸でしっかりと歩んで、人生を楽しみたいという私の望みであり、決意である。