空気を読み、ピンクの服やおもちゃをねだるのを我慢していた

私の人生の中で、ピンクとの距離感はその時々で変わってきた。

幼い頃の私はピンクが大好きだったのだが、幼少期は母自身があまりピンクやフリフリが好きではなかったのと、年の近い兄弟がいるため、お下がりができるよう黒や紺、グレーの服ばかり着せられてきた。

なんとなく空気を読んで、ピンクの服やおもちゃをねだるのを我慢していたけれど、本当は他の女の子達と同じようにピンクのスカートが履きたくて、ピンク色のものを身につけることに強く憧れていた。

そんなピンクへの思いが大きく変わった時期が、2度程ある。
小学4年生の時と、社会人になった23歳の時だ。

「好きな色は」と聞かれたら「青」と答えるようになった

初めは、小学4年生になった時だ。
急にピンクが恥ずかしいと思うようになってしまった。

ピンクは女の子の色。女の子のもの。そう思っていた私は、ちょうどその頃始まった生理が、ピンクと結び付いてしまったのだ。
生理の存在は嫌で嫌で仕方なく、自分が女の子であること、そして女の子の体を持っているがゆえに起こる痛みや不便を受け入れられず、女の子の象徴であるピンクにも、嫌悪感を抱くようになっていった。

重苦しく痛む下腹をかばい、必死に隠しながら、走り、泳ぎ、授業を受ける。
小学校高学年になるにつれ、男子は力が強くなり、体力も付いていく。私よりも背が低く華奢だった男子が、いつの間にか目線が並び、見下ろされるようになっていった。
今まで対等に生きてきたはずなのに……。
なんだか急に置いていかれるような不安、そして、女子だから、弱くなった、とバカにされるのではないか、という恐怖や苛立ちを感じたのを覚えている。

大人の女性の体へと変化するにつれ、だんだん体や行動の自由がきかなくなっていくのが、怖かった。

ピンクは弱い、ピンクは幼い……。
憧れだったピンクは、私の中で軽蔑の対象に変わっていってしまい、それ以来「好きな色は?」と聞かれたら「青!」と答え続けるようになった。
ピンクなんて甘ったるい色に見向きもしない自分が、かっこいいと思っていた。

生理が軽くなり、女性として生きることの不自由さも減った

2度目の変化は、月経カップと低用量ピルの存在を知った23歳の時だ。
50歳前後で閉経するまで、あと数十年苦しみ続けるものだと覚悟していた生理の苦痛が、月経カップとピルのおかげで半減したのだ。

思いきって足を運んだ婦人科で、初めて低用量ピルの存在を知った。そしてちょうどその頃、月経カップがアメリカやドイツから輸入されてきた。

淡いピンクのパッケージの低用量ピルと、ショッキングピンクの月経カップ。
その2つとの出会いで、私の生理は来る日がほぼ確実に分かり、回数は2ヶ月に1度、出血量と痛みは半分に減った。
そして、苦痛が半減したことにより、自分の体への嫌悪感、女性として生きることの不自由さも減った。

今でも生理や妊娠など、不自由で痛みや不調の多いこの体は、あまり好きではない。
子宮も、大きくて重苦しい胸もお尻も、パカッと外して放り投げたくなる時がある。
平べったく、重心が高くて、身軽な男性の体に憧れる時もある。

さらに妊娠中の今は、毎日自分の体に探りを入れ、機嫌を伺い、取っ組み合いの喧嘩をしているような気分だ。

ピンクは自分の体に向き合い続けた私の強さの象徴

でも、生理がやって来てから19年、心底うんざりするほど向き合い続け、闘い、葛藤し、なんとか折り合いを付けて生きてこれた。
まだまだ思い通りにならず、疲れるし腹も立つけれど、なんだかんだ自分の体とは、戦友のような、厄介だけど憎めない敵のような、ちょっと複雑な関係になっている。

生理なんて、妊娠なんて、女なら誰でもやってること、耐えて当たり前のこと……。
そう軽く捉えられがちだけれど、ここまでくるのに、自分で言うのもなんだけれど、かなり頑張ったと思う。
女の私は、女として29年間生きてきた私は、決して弱くなんかない。

夫に「やっぱりピンクが似合うと思って」と、淡いピンクの腕時計をプレゼントしてもらった26歳の時、素直に、嬉しい、綺麗だな、と思えた。

もう今の私にとって、ピンクは弱くも幼くもない。
ピンクは、綺麗で、可愛くて、したたかな色だ。

今は真っ先にピンクを手に取る。マスクも、ノートも、家電も。
ピンク、あんなに好きだったのに、勝手に嫌いになって、バカにして、ごめんね。