何を着ても「可愛い」姉と、「可愛い」と言われたくても言われない私

その昔、ピンクとフリフリが大好きな女の子だった。

姉が可憐に着こなす服が羨ましくて、早くお下がりが着たくて、大きくなるのが楽しみな女の子だった。可愛い服を着れば、姉みたいに私も可愛くなれるんだと思ってた。
ようやく可愛いピンクのお下がりを着た私は、鏡を見て落ち込んだ。だって可愛くないのだ。
そう思ったのは私だけじゃなかったんだろう。何を着ても「可愛い」と言われる姉の片隅で、「可愛い」と言われたくても言われない私が居た。

それでも、幼い私はめげずに可愛い服を着たがった。着れど着れど、可愛くならなかった。
特に、姉と並んで写真を撮ると、その差は歴然だった。
「そうか、私自身が可愛くないから、ピンクを着ても可愛くならないんだ」と悟ったのはいつだったか。お揃いの服を着せられた時なんて公開処刑で、可愛いの暴力を無防備に受け取り、写真で笑えなくなってしまった。

身に纏うことを諦めたピンクは、小物やインテリアで取り入れる

大人になると、すっかりピンクを着なくなった。
クローゼットはパキッとした寒色が多い。パーソナルカラーという、自分に似合う色を学び、私の好きなふんわりピンクは似合わず、主張の激しいビビットピンクが似合うと知った。ブルべウィンターと呼ばれるそうだ。それでもビビットピンクは好きになれず、私はピンクを身に纏うことを諦めた。
その代わり、小物やインテリアにはピンクをふんだんに取り入れている。「人に見せる訳じゃない。私が見たい景色はふんわりピンクの世界なの」と、開き直った。
お陰で、カーテン・ハンガー・お花・絵画・寝具・ペンケース・キーケース・タオル・ハンカチ・スマホケース・メイクポーチ・マグカップ・調味料ケース・小物入れ・ポストカード・手帳・カレンダー・コンタクト洗浄液・バスマット・マニキュア・御守り……結構沢山のピンクに囲まれて生活している。
これは偶然だが、部屋の壁までピンクでキュンだ。さらに、春は軒先の桜が咲き誇る。
とても贅沢なピンクの世界に毎日感動している。

私の最期は、ピンクの薔薇とハートと苺で埋め尽くして欲しい

あと、メイクは自然とピンクを取り入れられるので幸せだ。甘~いピンクメイクはしなくても、チーク・リップ・目の下にピンクを施す。それだけでいつも血色よく仕上がり、テンションが上がる。
ピンクは着なくても随所に取り入れられる至福の色だから、やっぱり大好きだ。

そういえば、SNSのメッセージ等で使う絵文字やスタンプも、いつも気付けばピンクだ。ハート・花・苺、なんて甘々な世界観。こんなの痛々しい?これが意外と、受け入れられるものだから不思議。
普段がパキッとクールにまとめている分、ギャップが好印象らしい。乙女心は止まらない。止めなくて、いい。

いつか、私も貴方もみんな息絶える日が訪れる。身内に不幸があった時、棺は故人の好きなモノで埋め尽くされた。それは本人にとって、幸せな最期だと思った。

私の最期は、ピンクの薔薇とハートと苺で埋め尽くして欲しい。フリフリらしく、スイートピーもあったら嬉しい。

「思いっきり甘々なエンディングがいいな。」

そんな事を思いながら、今日も生きる。ピンクに包まれる幸せな最期を夢見て。