「ショートヘアで大人っぽい雰囲気なのに格好は可愛い系で、そのギャップが素敵です」と下北沢の古着屋の店員さんに言われた。

ホワイトやピンク色メインの服装を“可愛い系”と称するのであれば、その日の私は確かに可愛い系だった。袖と胸元に薔薇の刺繍が施されたオフホワイトのトレーナーに、ホワイトデニム、アウターは背中にまたもや薔薇の刺繍が施された薄桃色のブルゾン。ブルゾンにいたっては所謂ロリータ系統の有名ブランドの古着で、背中にはブランド名がしっかり入っていた。

対して、私の髪型は黒髪ショートヘア。前髪はセンターパートで毛先だけ少し巻いていた。襟足も短い。

大人顔に分類される私の顔は濃いめで面長。つまり、首から上は大人っぽくて、首から下はガーリーというアンバランスさを携えていた。

自分が「可愛い」と思った服装を店員さんに褒めてっもらったのに…

私はそのアンバランスを好んでいた。少なくとも、家の鏡の前でひとりファッションショーを開催していた前日の夜と、出かける前にもう一度鏡で全身をチェックしたその日の朝までは、自分の格好を素敵だと思っていた。

黒髪ショートヘアにしているのだって、一度挑戦した茶髪があまりしっくりこなかったのと、単純にヘアアレンジが苦手で長い髪を持て余してしまうからという理由だ。また、自分の歴代髪型至上でショートヘアがいちばん似合っていると思っているし、「似合う」と言ってもらうことも多い。

しかし、ふらっと立ち寄った古着屋の店員さんにそのギャップを指摘されたとき、私は内心どきりとしたのだ。「あ、それ言っちゃう? やっぱり黒髪ショートにピンクは似合わないよな。顔も大人顔だし、可愛い系の格好は変だよな」そんな心のもやもやを悟られまいと、私は店員さんに「ありがとうございます~」なんて言いながらヘラヘラ笑った。袖・胸元・背中にある薔薇の棘が、心の奥深くまでずぶりと突き刺さった気がした。

私は可愛いものが好きだ。家にはくまのぬいぐるみがたくさんいるし、寝具はピンク色、家具はホワイトで統一している。

一方、手持ちの洋服は大人っぽくてクールなものが多い。スカートはほとんど穿かずにもっぱらパンツスタイル、深めのグリーンやブルーのシャツやニットベスト。黒髪ショートの大人顔の私にぴったりなものばかりだった。

私は「可愛いものは似合わないんだ」と自己暗示をかけてしまっていた

子供の頃から「大人っぽい、しっかりしている、お姉さんぽい」というイメージを良くも悪くも抱かれることが多かった私は、いつしか洋服もそういった他者からのイメージ通りのものを選ぶようになった。寒色系の服装も嫌いではなかったけれど、本当は暖色系の可愛い色や花柄、フリルなどが付いた服を着たかった。

しかし、周りから、特に母から「あなたにはそういう可愛い系のものは似合わないよ」と言われていたのが引っかかったのだろう、私は可愛いものは似合わないんだと自己暗示をかけてしまっていた。

人前に出るときは周囲のイメージ通りの大人っぽい私を演じていた反動で、せめて家の中だけは可愛いもので溢れさせたいという強い気持ちが、ぬいぐるみやインテリアに反映されたのだと思う。

だから、実家を出てひとり暮らしをはじめ、自分だけのクローゼットを手に入れたとき、これからは自分に正直に自由に洋服を選ぼうと誓った。

でも、いきなり服装の系統を変えるのは難しいから、まずは1コーデ分の可愛い洋服を揃えようということで、上記の洋服を買いそろえたのだ。購入した洋服が家に届いたとき、特に憧れていたロリータ系統のブランドの古着ブルゾンを段ボール箱から丁寧に取り出した瞬間、私は心の底から「可愛い……!」と感動した。こんな可愛いお洋服を、私はこれから存分に楽しめると思ったら、わくわくしてたまらなかった。

気分上々、自信満々のコーディネートに身を包み、意気揚々と下北沢の街へ繰り出した私は、古着屋の店員さんの一言で一気に意気消沈してしまった。封印したはずの心のもやもやが、ひょっこり顔を覗かせてきた。

「可愛い系は似合わないよ」という、誰かの声が無数に聞こえた気がした。昨晩や今朝は鏡に映った自分が可愛く見えて仕方なかったのに、ショーウィンドウに映った帰路に就く自分の姿は酷く不格好に見えた。家に着いてからお風呂に入り、その日はすぐにベッドに入った。寝つきは悪かった。

他人の目を気にして、自分の自由や意志を制限してしまうのは勿体ない

私は服装に限らず、他人にどう思われるかを気にしすぎてしまう癖がある。人目を気にすること自体は悪いことではないが、過剰に反応して自分の自由や意志を制限してしまうのは勿体ない。

あの店員さんだって「素敵です」と言ってくれていたのだし、言葉通りに素直に受け止めることも大事だろう。変に勘ぐって勝手に自信をなくしてしまったら折角の可愛い洋服が台無しだし、何よりそれを可愛いと思い、その洋服を身に纏った自分を可愛いと思えた感性を潰してしまうことになる。それは悲しいし、寂しい。

私は黒髪ショートヘアで大人顔、大人っぽい服装が似合うけれど、可愛い服装も好きだし似合う。それでいい。それがいいのだ。

他人の視線や過去に貼られたレッテルやイメージに囚われずに生きることは難しい。私もすぐに気持ちを切り替えることはできないだろう。

けれど、ゆっくりでもいいから、自分の感性を大事にしていきたい。私が良いと思ったものは私にとっては良いものだし、可愛いと思ったものは私にとっては可愛いものなのだ。流動的で刹那的な感性としっかり向き合っていきたい。

人の数だけ、いやそれ以上に自分の見せ方がある。私は私らしい見せ方、魅せ方を探していきたい。