大学受験は一般入試以外の選択はあり得ない、という掟を強いられた

私は自分の過去を捨てることができない。
私が捨てたいのはキラキラとした思い出ではなく、今なお、私の足枷になっている苦い記憶だ。嫌なことはすぐに忘れてしまいたいけれど、ネガティブな私はトラウマを引きずってしまう。
ここで文章を書くという行為は、過去の私との決別を意味する。これを期に、私は過去の自分を捨て去りたい。

以前エッセイでも話したことがあるが、私の通っていた高校はいわゆる「自称進学校」だった。
一番上のクラスに割り当てられた私は「大学受験は一般入試以外はあり得ない」という掟を守ることを強いられた。
その頃の私の偏差値は70を超えていたし、学校の成績もほぼオール5。生徒会活動やボランティア活動にも力を入れていた。部活では大会にも出場し、英検などの資格も持っていた。
でもすぐにネガティブ思考になってしまうので、思うように偏差値が上がらなかったり、気分が落ち込んでしまうこともしばしばあった。

そんなときでも先生は「勉強しなさい」「やればできる」のような言葉で私を奮い立たせた。教師側のこの態度も、今となっては文化的暴力に値するのでは?と考えてしまうが、高校生の私は先生の期待に答えるために必死だった。
「君たちは上のクラスなんだから、一般入試は当たり前」
「指定校は下のクラスに譲ってやりなさい」
「努力すれば報われる」
何度この言葉を聞いたことか。
「努力が報われる」なんて嘘っぱちだ。

受験は地獄絵図。焦りと不満で心がズタズタになった

私の友人は、寝る間も惜しんで勉強していたのに、滑り止めの大学にも落ちてしまった。
第一志望の大学にも一歩及ばず、浪人の道を選んだ。その友人の第一志望の大学には指定校推薦の枠があったが、教師側が「下に譲れ」というので一般入試を受けることになり、このような結果になってしまった。
一方、友人が行きたかった大学の指定校を取った子は、指定校推薦で合格が決まるやいなや、すぐに遊び始めた。
その態度は一般受験組を横目に「ずっと勉強してるなんて大変ね」と言っているように見えた。
私にとって受験は一種の地獄絵図だった。

私自身も「第一志望の大学に受からないと……」という焦りで失敗し、一つも合格が出せないままでいた。
「このままでは浪人しちゃう……努力したことが無駄になる……」と不安になっていた私は、受験真っ只中ではあったが同じクラスの友人に相談をしていた。
その時、廊下でとある先生が通りかかった。その先生がこう言った。
「一つも合格を出してないくせに、友人と話す暇があったら勉強しろ」と。
この言葉で、私の心の中はズタズタになってしまった。

「生徒をなんだと思ってる?あんたたちの受験の道具じゃない」
「高校の評判を上げたいからって私たちを利用するな」
「その言葉を、大学が決まって遊んでいる連中に突きつければいいじゃないか」
「何も考えずに、ただただ覚えろと言われるこっちの身にもなってみろ」
言葉が悪くなってしまったが、当時の私はその先生の発言に対してこのような意見を持っていた。
でも、そんなことは言えるはずがなく、「分かりました。勉強します」という言葉を吐いただけだった。

これからの人生を身軽に生きるため。私は過去を捨ててやる

捨ててしまいたい。こんな記憶。こんな失態。こんな恥辱。
言われたほうがどれだけ傷つくか、言ったほうは分からないんだ。
私はモノじゃない。みんなだってそうだ。
感情を持っている。
だから冷たい言葉や捨て台詞を聞くと怒りも湧くし、腹立たしくもなる。
でも、そんな感情が湧き上がると「なんて自分は器の小さい人間なんだ。嫌な人間だ」と考え込んでしまう。
そうなってしまったら負のループを延々と繰り返すだけだ。
私は今、そのループから脱却したいのだ。
ふとした時によみがえるあの禍々しい記憶を捨て去り、自分を認められるように。

完全にこの苦い過去を捨て去ることはできないだろう。
でも、それでも私はこれからの人生を身軽に生きていきたい。頑張った自分を肯定していきたい。どんな人々でも互いに認め合いたい。

だから私は捨ててやるんだ。
今ここで。