大学受験。これはまさに私の人生の中で一番苦しい時期であった。それは母も同じであった。いや、もしかすると母のほうがずっと苦しんでいたかもしれない。
本当に私はお金のかかる娘なのだと申し訳なさでいっぱいになっていた
何を隠そう私は現役時代に大学受験に失敗し、一年間の浪人生活を経て今の大学に通えている。別に一年間浪人することなんて私の高校ではありきたりな出来事であったし、私も「全部落ちちゃったから浪人したい。予備校に通わせてほしい」と両親に頼んだ。
これは現役時代に大学入試に落ちまくった私が全部悪いのだが、両親は全く私を責めずに私を予備校に通わせてくれた。予備校は一年間でおよそ80万円。大学の一般入試は一回で約3万円。結局10校ほど受けたから、私は一年間で100万円近くのお金を親に払ってもらっていた。高いお金払っているのに、と小言を言われたことは無かったし、お金がどうこうというわけではないが、現役で受かっていれば両親にもこれほど心配をかけなかっただろうと思う。
二つ上に姉がいるが、姉は小さいころから私と違って賢く、もちろん大学受験も現役で、しかも2校のみを受験し、見事受かった。それと比べたりすると、本当に私はお金のかかる娘なのだと申し訳なさでいっぱいになっていた。
お金の話をしたいわけではない。母は私の受験の失敗によってかなりメンタルがやられていた。
母は、みるみる痩せていってしまった。そこに現れた救世主
「今度は受かるよね?」
小さいころから私たち姉妹に教育熱心であったいわゆる“教育ママ”であった母は、私が受験に失敗したことで少し“病み状態“に入っていて、ときどき私に心配そうに質問してきた。朝から晩まで毎日予備校に通っていた私の楽しみは母が作ったお弁当を食べる、お昼の時間だけになっていた。もちろん高校生ではない私。部活もなければ体育もないわけで、体重は重くなる一方であった。しかしそんな私とは逆に、母は「食事がのどを通らない」と言って、もともとあまり食べない人であったが、さらに食べる量が減り、みるみる痩せていってしまった。
母に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。この受験期で私は母にどれくらい心配をかけているのだろう。母はまじめな性格で、人一倍に私のことを心配してくれて、遂に受験勉強をしている私自身よりも心が折れていたのである。
そんな母の体調も心配になっていた、受験勉強を再び一から始めて3か月くらい経った6月頃であろうか。予備校から家に帰ると、母があるドラマに夢中になっていた。そしてそのドラマの主人公の俳優にドはまりしていた。
今名前を聞いたら「知らない」という人はほぼいないであろう。しかし、その当時は全くの無名であった。母は瞬く間にその俳優の過去のドラマや映画を楽しむようになり、遂に握手会やサイン会にも参加するようになった。
私は人生でこんなにもキラキラしている母を見たことがなかった。はたから見れば若い俳優に熱中する主婦の一人であったかもしれないが、私の受験でかなり疲弊していた母をこの俳優は救ってくれた。母にとっての救世主であり、また私にとっても救世主であった。
母が惹かれたその俳優は私がそろそろ受験本番を迎えるころには世間に名が広まるようになっていた。「ネクストブレイク俳優」とメディアからも期待され、ドラマ、映画、舞台、数々のヒット作に出演した。
母の幸せはあまり長くは続かなかった。それを救ったのは姉の言葉
私は無事2度目の受験を終え、大学生活を楽しみ始めていた。母の体調も私の受験も終わり、好きな俳優はうなぎのぼりで、完全に元に戻っていたし、何より幸せそうであった。
写真集を買っては「この表情がいいよね」、ドキュメンタリー番組に取り上げられれば「この年齢でこんな賢いこと言える?大人びてるよね」など、絶賛であった。
私もそんな幸せそうな母を見るのがうれしくて、電車の広告やCM、ポスターなどを見つけると写真などに収めたりして母に共有していた。あの泥のような受験期を救ってくれた彼の存在にとても感謝していた。すっかり元気を取り戻した母は数年ぶりにディズニーランドに行きたいと言い、私と休みを合わせていく計画を立てていた。チケットも買って、本当に楽しみにしていた。
しかし、その幸せはあまり長くは続かなかった。
母が応援していた人気絶頂のその俳優がまさかの不祥事を起こしてしまい、メディアに全く出なくなってしまったのである。まさに天国から地獄だ。母は意気消沈。「今日は元気がないからご飯作れないかも……」と、大好きな料理も手がつかない状態。
そんな母を見ていると、私はあの受験期の母を思い出していた。案の定あの頃と同じで、母は食欲をすっかりなくし、テレビや新聞、ニュースまでも見なくなってしまった。ディズニーランドに行く約束も、気分が乗らないから今度にしようか、と話していた。私は母のことが心配で「すぐ復活してくれると思うよ。また元気があるときにディズニーランドは行こうね」と情けない言葉をかけるだけであった。しかしこの時の姉は違った。ふさぎ込んでいる母にひとこと言った。
「辛い時こそ楽しまないと。今後の人生何も乗り越えられなくなるよ」
さすが姉だった。圧巻であった。
母はその言葉に背中を押され、予定通りディズニーランドには行くことになった。元気がなかった母であったが、いつもとは違う日常を楽しんでいた。良い気分転換になっていたようだ。
この姉の言葉には私自身も救われた。どんよりした家の空気に一筋の光が通ったような気がした。人生にはうまくいかないことの方が多い。辛いことを乗り越えられないと前に進められないのだ。
今後、長い人生が待っている。どんなことが起こるか。それは未来の話だから分からない。しかしどんなに辛いことがあっても、この姉の言葉を思い出せば前に進める気がしている。