近所の少し古びた喫茶店の隅で、オレンジジュースを飲みながら小さなノートにエッセイをしたためる。週に一度の大切な時間。

一人静かに涙を流した日も、思わずニヤリと口角をあげてしまった日も、いつも変わらない。お店の柔らかな空気に包まれて、私はゆっくりと鉛筆を走らせた。

妊娠したと同時に「自分の人生の喪失」を漠然と想像してしまった

私は、母の約60年間の人生の中の「母としての姿」しか知らない。それは当たり前のことであり、今まで何の疑問も持たずにいた。

しかし、自分が妊娠して、初めておなかの少し下あたりにぽこっと胎動を感じた瞬間、命の喜びと同時に自分の人生の喪失を漠然と想像してしまい、恐ろしさが全身にじわじわと広がった。「この子が産まれたら、私の人生は『母としての姿』しかないってこと?」。

今まで、たまに母から学生時代に吹奏楽部の練習が辛かった話やアルバイト先で失敗した話を聞いても、うまく想像できなかった。「お母さんは、いつだって私のお母さんでしょ?」そんなとぼけた考えが拭いきれず、どこか空想上の出来事のように感じていた。

だから、私が高校入試のプレッシャーに押し潰されそうになった時、友人だと思っていた人達からのいじめに悩んだ時、初めての失恋で胸が張り裂けそうになった時、就活がうまくいかず四季報を破り捨てた時、残業した夜に真っ暗な一人暮らしの部屋の玄関で泣き崩れた時、「専業主婦で、お父さんに守られながらのんびり平和に生きているお母さんには、どうせ私の気持ちなんて分からないでしょ?」。そう思い込み、私の心の真ん中は孤独で冷えきっていた。

私の母にだって約60年間分の人生がある。でも、私は知らない

母にだって約60年間分の人生がある。私の知らない、奥行きのある人生。その事実をうまく飲み込めていなかった。飲み込めていないまま、今度は私が母になろうとしていた。

どうか娘には、孤独の寒さに凍えてほしくない。どうか娘には、私のこれまでの人生を空想上の出来事にしてほしくない。

私もちゃんと0からこの世に生を受け、一歩一歩、時に悩み、時に迷いながら、少しずつ大人になろうと足掻き続けて、やっと新たな命をこの世に迎え入れる覚悟を決めたこと、絶対になかったことにはしたくない。

これまでの私が経験してきた喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、そして、とても一言では語れないほどの沢山の思いを、一度きちんと整理したかった。整理して、形にして、この世に残したかった。これから新たな命を生み出す私にとって、それは重要な儀式のように思えた。

母になったとて、「私の人生」は喪失しない。喪失させない

「私の人生を、エッセイにしよう」と思い立ったその足でコンビニに行き、小さなノートと鉛筆を買った。そのまま吸い寄せられるように喫茶店に入り、大好きなホットココアを片手にノートを広げた。

息を深く吸い込み、あの頃の記憶をたどる。胸がいっぱいになったところで、息を、文字を、細く長く思いっきり吐き出す。ほとんど忘れかけていたような遠い記憶も、優しく丁寧にたぐりよせると、息を吹き返したように輝きだした。

こんなにもたくさんの人と出会い、たくさんの言葉を紡ぎ、たくさんの思いを知り、今この瞬間まで全力で生きていた。なんと誇らしいことだろう。

母になったとて、私の人生は喪失しない。喪失させない。

娘の人生には、未来しかない。私とは別物の、新たなる人生。

だからこそ、私の人生を知ってほしい。あなたが何かにつまずいてしまって、真っ暗な世界で一人凍えて絶望しそうになった時、私の人生から何か一粒でもあなたを温かく照らす光になれたら、それが私の生きてきた意味だと思えるから。