かがみすとの年齢層は、狭いようで広い。
世間的に「若い」という形容でひとくくりにできる程度には狭いが、それぞれの青春時代にどんな社会だったかという点では、特に移り変わりの激しいこの10年、結構ばらつきが出るのではないかと思う。
だから、今からわたしが書こうとしているノスタルジーのディテールについて、正直ピンと来ない人もいるだろう。それでも、あの甘い夜を正確に思い出すために必要なことだから、少し文字数を割いても書いてみたい。

メールの返信を待って、午前1時、布団の中でケータイを見つめていた、14歳のあの頃。

画面を見なくてもすぐに知りたいから、彼からの受着信は特別仕様

中学生だったわたしは、既に親からケータイを買い与えられていた(スマートフォンが普及していなかった頃、ガラケーは全て単に「ケータイ」と呼ばれていたはずだ)。
キャリアはVodafone(Vodafone!?)、中学生の手のひらに収まる程度のサイズ感、色はスノーホワイト、二つ折りに畳んだ背に小さなディスプレイがついており、日時や3本線の電波マーク(当時は3本しかなかった)が表示されていた。
折り畳みヒンジ部分に爪先ほどの小さな着信ランプがついていて、メールや電話を光って知らせてくれた。
便利なことに、個人ごとに着メロ(死語だ)やランプの色、点滅パターン、マナーモードの仕様を変えることができた。

だから、彼からの受着信は特別にした。
着信ランプは水色に点滅するように、バイブレーションは通常よりも小刻みに。画面を見なくても、彼からだとすぐに知りたかった。
わたしはいつも、白いケータイが水色に光るのを、小刻みに震えるのを、期待しながら生活していたと思う。

夜が更け、探り合いは核心へ近づく。覚悟を決めて文章を作った

あの夜もそうだった。
部活で疲れているのに。明日も学校があるのに。いつもなら午後10時過ぎには布団に潜り電気を消すような、早寝早起きの子どもだったのに。
彼とのメールが盛り上がっていた。同級生で、なんてことない会話がやたらと楽しかった彼。彼とは、永遠に話していられる気がした。ほんの子どものじゃれ合いにせよ、他愛もない言葉を通してお互いを探り合うのは、まるでくすぐり合いっこのように楽しかった。
やめ時がわからず、何日にもわたって交わされたメールの件名欄は、数え切れない「Re:」と「RE:」の連続でとうに埋まっていた。

夜が更けると共に、わたしたちのやり取りも少しずつ深まっていった。探り合いは少しずつ核心に近づいていた。
日付が変わって数十分経つ頃、曖昧な雰囲気に耐えられなくなったわたしは、ほんの少し自分の心を相手に見せることにした。
消灯した部屋の布団に寝そべりながら、薄緑のバックライトを頼りに、硬めのキーをカチカチと押して、彼に送る文章を作った。暗闇に浮かぶ4cm四方の画面の中に、中学生なりの覚悟が詰まっていた。
送信決定のボタンを押す親指は血の気が引き、震えていたと思う。

「好き」「付き合って」のような決定的なことは書かなかった。ただ「あなたともっと仲良くなりたい」ということだけ伝えたかった。それだけでも、十分怖かった。
自分が好意を寄せ、信頼したいと思っている人に本音を漏らすのはとても怖いことなんだと、わたしはあの夜初めて知った。

送信完了後、返信を待つ。布団の上に置いたケータイは微動だにしない

送信完了後ケータイを閉じ、布団の上に置いた。
5分待った。10分待った。ケータイは光らない。まだ早すぎる。向こうもこちらのメールを読んで、文面を考えて、文字を打ち込むのには時間がかかるはずだ。

15分。20分。無音のケータイ。まだ焦らない。チャットアプリが普及する前、返信の待ち時間に対して、人の心はあんなにも広かった。

30分。白いケータイは微動だにしない。焦り出す。寝ちゃったの?わたしは朝までだって起きていられるのに。
頭の中で、先程までのメールのやり取りを何度も反芻していた。気持ち悪いと思われていたら死ぬしかないと、そんなつもりもないのに考えていた。
突然、ブッ、ブッ、ブッ、と音がする。着信ランプがライトブルーに点滅している。ほとんど条件反射の速さで上半身を起こしケータイを開いて、受信BOXのメールを開封する。少しだけスクロールが必要な長さのメール。十字キーを連打する。

少しだけ心を見せたわたしへの返信。向こうも同じだけ、いや、もう少しだけ多く、心を見せてくれた。
君と話すのが楽しい。大切な人だ。
そんなニュアンスのことが書いてあった。その夜は寝つくことができなかった。

今でもたまに彼が夢に出る。14歳のあの頃の姿で

その後、彼とは付き合うことになり、やがて振られ、別れた。
とても好きだったから、とても引きずった。何度も夢に見た。
正直なところ、今でもたまに夢に出てくる。14歳の彼が、あの頃の姿で。

彼の夢を見るのが、昔はとても嫌だった。惨めで、いかにも後ろ向きで、感情をコントロールできない自分が気持ち悪くて仕方なかった。
今はそうでもない。むしろ、大事にしたいとさえ思う。まだほんの子どもと言えるくらい、感性が若く新鮮なうちに、15年経ってもなお色褪せない、強烈な感情を経験できて良かった。きっと稀有な体験だった。

わたしの夢の中で、彼は永遠に14歳のままだ。大人になった彼とわたしの人生が交わることはこの先一切ないだろう。
ただ現実に生きる29歳の彼が、善良な大人になっているように、そしてよく眠れているようにと願うだけである。