お弁当代を浮かせ、学校からの帰り道、近所のドラッグストアへ

中学生になって、初めて色付きのリップクリームを買った。お昼のお弁当代に、と母から貰うお小遣いを数回分、ツナマヨおにぎりに代えることで、浮かせたお金だった。          
学校からの帰り道、近所のドラッグストアに立ち寄って、商品棚に隠れるようにしてしゃがみ込む。
私、リップクリームを探しているんです。まぁ、特にこだわりとかないので、なんでもいいんですけど。
誰に尋ねられている訳でもないのに、心の内でそうつぶやきながら、興味のなさそうな顔を作ってみせる。面倒臭いなぁ、とでも言いたげに口をへの字に曲げて棚を流し見ると、手近の小さなパッケージを手に取ってレジへと向かった。

ほのかに果物の香りの付いたそのリップクリームは、最近人気のアイドルが宣伝ガールを務めている商品で、もちろん事前にチェックしてきた商品だ。
素早くレジを済ませて足早にドラッグストアを出ると、パッケージを剥いで近くのゴミ箱へと放り込む。家にゴミを持ち帰って、母に見つかるなどすれば面倒だ。リップクリームをポーチへと仕舞うと、私は帰り道を急いだ。

唇に乗ったその色は、ほんの少しだけ大人にしてくれるような気がした

自分の部屋にこもって、さっき買ったばかりのリップを塗ってみる。
クラスの華やかな女の子たちがこぞって付けている、海外の女性アーティストのような真っ赤なリップに比べれば、それは相当に控えめな色だった。けれど、唇にほんのり色付いたその薄桃色は、私にとって精一杯の背伸びの色だった。
毎朝ブレザーのポケットにこっそりと忍ばせて、誰も見ていない時を見計らい、トイレで一人、リップを塗る。校則にギリギリ引っかからないような、注意して見なければわからない程の色ではあったものの、唇に乗ったその色は、私をほんの少しだけ大人にしてくれるような気がしていた。

しかし、事件は思わぬ所から起こってしまった。
学校へ着いてポケットを探れば、いつも入っているはずのリップが無い。教室で落としたのだろうか。それとも、通学路?誰にも拾われていなければいいが……。
結局、放課後までリップの行方は分からぬまま、私は家へと帰り着く。
「ただいまー」
リビングにいる母に声を掛けると、ニヤリとした顔がこちらを向いた。
「何?」
思わず尖った声が出る。そんな私の様子などお構いなしに、母は楽しげに引き出しから何かを取り出した。
「これ。朝、洗面台に置いてあったよ」
ほら、と手渡されたソレは、紛れもなく、ブレザーのポケットに仕舞われていたはずの、私だけの小さな秘密だった。瞬間的にサアっと、頬から耳まで熱さが走るのを感じる。
「あぁ、そんな所にあったんだ。ありがとう」
何気ない風を装うと、母の手からリップを取り上げる。そのまま、再びブレザーへと突っ込んで去ろうとすれば、背中に一言、母。
「急に色気付いちゃって、どうしたの?もしかして、好きな子でも出来た?」
図星だった訳ではないけれど、「色気付いた」という言葉が、年頃の私にはえらく恥ずかしい言葉として刺さってしまった。それ以来、ピンクは少し、遠い存在になっている。

自分でアルバイトをして貯めたお金で買ったマニキュア

あれから六年経った今、私は店先でマニキュアを選んでいる。あの頃のように、ツナマヨヘソクリではなく、今度は自分でアルバイトをして貯めたお金だ。
小瓶に入った色とりどりのラインナップを、端からじっくりと見てゆく。夏らしい大粒のラメが入ったもの、大人でシックなベージュ、こっくりとした深緑、そして……。ネイルチップを爪にあてがう手を止めて、私は一つの小瓶を手に取った。

家に着くなり早速開封すると、シンナーのツンとした匂いと、筆先の冷たさが爪に染みた。
はみ出さぬよう、息を止めて慎重に色を乗せる。散々迷った結果、指には塗らず、ペディキュアだけに留めることにした。

明日は、憧れの先輩とのデートだ。先輩は、桜貝色に染まった私のつま先に気がつくだろうか。