コロナ禍で出産。ウイルスよりも人生計画を優先させた

平均年齢30.7歳。
これは何の年齢かというと、日本人女性の初産の平均年齢のことらしい(厚生労働省統計/2018年度)
私、現在29歳。昨年末に第2子を出産し、2児の母となった。このことから、自分は「日本人女性」という括りにおいては平均より早く出産を経験し、2人目も授かったことになる。

たまたま、私の場合、子ども2人ともコロナ禍での出産になった。周りからは「コロナ禍での出産、大変ね」「何かと不自由で育児もやりづらいでしょう」と声をかけられることも多いが、そもそもコロナ禍での出産しか経験したことがないのだから、比較対象もなく、幸か不幸か何が大変かもよく分からなかった。
メディアでは「コロナ禍において産み控えが増えた」「少子高齢化が進む一因となった」という問題も取り沙汰されているが、私としてはウイルスの出現よりも自分自身の人生計画を優先させたくて、そこのところはあまり深く考えてはいなかった。

そして、これもたまたまの話だと思うが、自分の周りにもコロナ禍だからといって妊娠・出産を控える動きは少なく、むしろ結婚・妊娠の適齢期といわれる年齢層にいるからか、周囲でのおめでたラッシュが続いていた。

新たな命の誕生。おめでたいことだが、過度な妊婦アピールは苦手

結婚・出産をハレのものとして捉えられるのは、ごく身近な好意をもった人に対してだけだと私は思っている。
よく芸能人のそういった話が目に入るが、正直あまり興味をもてない。産後、ママタレというジャンルが確立されているのも分かるが、これといって崇拝する人はおらず、自分の育児の参考にしたいときに、ほど良い情報をもたらしてくれるのであれば参考にする程度の距離感。
子どもが小さいころは、もっと真面目に育児に関する情報収集にも本腰を入れていた気もするが、最近慣れが先立って少しずつ手抜きになってきた。それに伴い、他人の結婚・出産にも関心をもてなくなってきたのだと思う。

そう言いつつも、このことに関して、昔からちょっと苦手な部類の人たちがいる。それは、マタニティハイになる人たち。もちろん、出産という新たな命の誕生に際して、一般的に祝われるべきおめでたいことだという認識はあるが、過度に(大っぴらに)妊婦アピールされることが私は苦手だ。

特に苦手意識を覚えてしまうのが、他人のエコー写真、マタニティフォトで見せる丸々としたお腹。我ながら性格が悪いな〜と感じるが、その類のものを目にすると「誰得」の二文字が頭に浮かび、身内でやってほしい思いに駆られる。
私も出産を2度経験した身なので、もちろん表立っては口にしないが、内心そんなブラックな一面を秘めながら日々過ごしている。

自分の代わりに仕事をしてくれた人がどう思うか、と考えた

何故そのような思考に行き着いたのか。
私自身、第一子の妊娠中はつわりが酷く、急な早退や休みの申し出で職場に迷惑をかけることが多かった。その度に、共に働く同性未婚者は私のことをどう思っているだろうか、はた迷惑に思われていないかと周囲が自分に向ける目に悩んだことがある。
「妊娠・出産は悪いことではない」と思うが、その反面、心身の自由がきかなくなることで自分の代わりに手間を買ってくれる人がいるわけで、マタニティハイに陥り、周りが見えなくなるのは控えるべきだと思うようになったのだった。

自分の仕事を代わりに請け負った人たちが、一見、妊娠・出産によって浮かれていると捉えてしまうような私の言動を見たら良い気はしないと思う。
我ながら「周りの目を気にしがち」な至極、日本人らしい価値観。だが、出産を経験した者、しない者、どちらの立場にも理解を示すことが、今の多様性が重視される世の中では無難な考え方だと思う。

最近も、時々開くSNSから、知り合いのおめでた投稿が溢れてくる。とりあえず、見たよの印でイイね!を押すが、日に何回も我が子や自身の身の上話を載せる人たちはこっそりミュートをしながら距離を保ち、ママ友付き合いしている自分がいる。