初めまして。私は25歳、2歳と0歳の母親です。
皆さんは出産したら、母親が無条件の愛を与える、そのイメージが強いのではないでしょうか。でも本当は、子供側から受け取る愛はたくさんある事を知っていますか?

大変なお産を越えて、本当の戦いが始まった

私が結婚出来た理由、それはおめでただったからです。当時私は23歳。まだまだ子供です。これからの本当に大切なことをまだ知らない私でした。

妊娠中、本当に精神的に不安定になりました。吐きつわり…治まってきたら食べつわり、お腹が大きくなって胃酸の逆流…家族に助けてもらいながら、10か月頑張りました。
いざ出産。いつしか手を握ってくれていた主人の手を振り払い助産師さんの手を握っていました。

やっと子宮口が全開し、分娩室へいきます。既にいきみたい感覚が強く、助産師さんからは「まだいきまないで!」と一言。
「無理なものは無理!」と言わんばかりに痛みと便意の感覚が押し寄せます。
やっと分娩台に乗ると、私はついに「もう限界!」といきみ始めてしましました。「赤ちゃんの頭出てるよ」と助産師さんからの声。そこからは痛みより、赤ちゃんが出てくる感覚に集中出来ました。

おめでとうございます、と先生からの言葉。
処置が終わって、その日はゆっくり休むことに。

ここからは怒涛の3時間おきのミルクの始まり。母乳も考えましたが、混合からのミルクになりました。
最初は本当に小さく小さく可愛い娘。初めてのオムツ替え、授乳。慣れないお世話を精一杯頑張りました。
自宅へ帰り…ここからが本当の戦いの始まりでした。

育児ノイローゼの私へ満面の笑み、それを教訓に

生後3ヶ月。一連のお世話に慣れてきた頃、ある日からなかなか寝なくなりました。ずっと眠らない娘に疲れが知らず知らずのうちに溜まっていた私の心が、プツン…と切れました。

そこからは、毎日の様にイライラ、娘の泣き声を聞きたくなくなり、最後には泣き声を聞くと私も泣きながら耳を塞いでしまいました。いわゆる育児ノイローゼ。

その後家族の協力もあって、ストレス軽減の方向に向かいます。ミルクを代わってもらったり、娘と離れる時間を作りました。

ある日なかなか眠らないので私はまたイライラが募り始めていました。布団に娘を寝かせ、ワーっと叫ぶ寸前に娘がニコッ…。

…私は声をあげながら泣いてしまいました。

その時私は気付かされたのです。私がどれだけ情けなくとも、感情的でも、娘は私が大好きでいてくれる。笑ってくれる。「ママ、笑って?思いつめないでね。」と、伝わってきたような気がしました。

それ以降、あの時の光景を忘れず教訓にしています。
今は何故かイライラしないように、自分の感情を別の場所へ持っていき、ある程度落ち着くことができます。私も仏ではないので、ある程度ですが。

子供はどんな親でも、心の奥では様々な愛を持っています。子供からすれば、両親が愛せないわけないのです。ただ形がそれぞれであるだけで。
親にとって子供というのは、無条件に愛してくれている特別な存在です。
まだまだ未熟な私ですが、子供達が私を成長させてくれている事を日々忘れないようにしています。