初めて髪に意識が向いた瞬間のことは、はっきりと覚えている。
幼稚園生の頃、同い年くらいの女の子と道ですれ違った時のこと。
その子の髪は長く腰まであり、絵本の中のお姫様のように、くるくるとカールしていた。
その姿に憧れ、母に相談してパーマをかけさせて貰ったが、何かが違う。どうやら長さが足りなかったようだ。
どんなに悲しくとも髪はすぐには伸びてくれない。お姫様になれず途方に暮れた、ほろ苦い思い出だ。
あの時から20数年。私がずっと捨てられないものは、ロングヘアへの執着心である。

試行錯誤を繰り返し、「私=ロングヘア」という公式ができた

時は流れ、私は校則の少ない高校へ進学した。髪を染めメイクを覚え、美意識の追求に夢中だった。
ある時、エクステを付けて憧れのロングヘアを手に入れた。思い描いた理想が形になり、無敵だと思った。
しかしエクステは儚く、あっという間に別れの時が来た。
凄まじい喪失感だった。本来の自分に戻っただけなのに、確実に何かを失っていた。

それから、髪を綺麗に伸ばすために試行錯誤する日々が始まった。
その甲斐あって、20歳頃には、腰に付くか付かないかくらいの絶妙な長さの髪をくるくるとカールして、かつて憧れた「お姫様」のような髪型を手に入れた。
そして、試行錯誤の中で「私=ロングヘア」という公式が出来上がった。自分なりの様式美についての一つの結論だった。

次第にヘアカラーすら妨げに感じて黒髪へ戻した。それは私が選んだことではあるが、私の長い髪が「もっとよく伸びよう」と、意思を持って選ばせたことのようにも思える。

コロナ禍で遠のく美容室。世界の事情も構わずに伸びる髪

そんな風に時々アップデートも加えつつ、理想のロングヘアを5年以上保ち続けた。
しかし、新型ウイルスの出現を機に美容室から足が遠のき、そのまま髪に鋏を入れることなく約2年が経った。
保ってきた理想のロングヘアに予定外の2年分の長さが加わり、腰を優に越えるほどになっていた。

髪は、私や世界の事情など構わずに、伸び続けていた。私が大切にしてきた美意識の外へ、私の知らぬ間に飛び出していた。
私の身体の一部なのに私のコントロールから離れているようで怖く、いっそばっさり切ってしまいたくなった。
しかし、切ったら何かを失いそうで怖かった。それどころか、大好きなロングヘアなしでどうやって生きていったらいいのかさえよく分からない。

大切にしてきた長い髪に私自身が縛られ、身動きが取れない。
恐らく、「私=ロングヘア」の公式のもとで、髪にアイデンティティを預け過ぎてしまったのだ。

髪に自分を乗っ取られないための打開策は、ヘアドネーション

このままではいつか髪に自分を乗っ取られるのではないか、と本気で思った。
打開策として辿り着いたのは、ヘアドネーションだった。
誰かの役に立つ可能性があるならば、この思い入れの絡まった髪との決別も出来る気がした。

今年の始め、緊張に震えながら向かった美容室で、私の髪は日本人形のような潔いボブになった。
肩で踊る毛先が軽やかで心地良かった。
それまでの公式や美意識、執着心から解放されたような爽快感があった。
髪に預け過ぎていたアイデンティティが、私のもとへ帰ってきたような気がした。
切り離した髪を梱包し、寄付先への発送作業を終えると、安堵感と少しの寂しさに涙が出た。

あれから数ヶ月が経ち、今もこの新しい髪型がとても気に入っている。後悔は微塵もない。
ところが先日閃いてしまった。
「このリセットした状態の髪を綺麗に育めば、人生最高のロングヘアを目指せる!」

結局私はロングヘアへの執着心を捨てられなかった。
一大決心をして手放したのに、今度は髪ではなく自分の意思で再度選び取ろうとしている。
私とロングヘアとの付き合いは、まだまだ長くなりそうである。