水色ばかりで無意識にピンクを避け続けた子供の頃

ピンクのアイシャドウ。ピンクのTシャツ。ピンクのスニーカー。
私はピンクが好きだ。毎日、何かしらピンクのものを身に纏う。その色は私を励ましてくれる。

子供の頃、私は無意識にピンクを避けていた。眼鏡のフレームや筆箱、鉛筆はすべて水色。見た目のコンプレックスもあったのかもしれない。いつも、ピンクを身に着けている女子を卑屈な目で見ていた。そんなものはかわいい子が持っていればいいんだ。そうして、私はピンクと無縁な人間になっていった。

高校生になると、私はフェミニズムに傾倒し始めた。男女平等の理念はとても輝いて見えたし、実際に素晴らしいものだった。進学校だったために、周りに上昇志向を持った女の子たちも多かった。私の父は仕事人間で、母は専業主婦。そんなことも影響したのだろう。
私は勉強に打ち込んだ。大人になってから男社会で戦うためには、強くならなければいけない。数日の徹夜にも、多忙な日々にも耐えなければいけない。かわいさは敵だ。当時の私は、強くそう思い込んでいた。

転機はYouTube。性別に囚われていたのは私だった

大学に進学しても、私の考えは変わらなかった。女は仕事ではなく、家庭に専念するべきだという固定観念はおかしい。男は度胸、女は愛嬌だって、正しくない。女の子はみんないい匂いがして、ふわふわの部屋着を持っていて、ピンクが好きなんていうのも間違っている。

ある日、友人が言った。
「子供ができたら、どんな名前を付けたい?」
私はそんなことを考えたことがなかった。自分が結婚するということさえうまく想像することができなかった。
「強いて言うなら、男の子でも女の子でも使える名前かな。生まれた時から男らしさとか女らしさとか求めちゃったら、子供も嫌なんじゃない?」
私がそう答えると、友人は腕を組んでしばらく考えてから言った。
「そんなことを考えなくてもいいんじゃないかな。だって、それは親じゃなくて本人がきめることだよ」
私は彼女の顔を見つめた。正直、理解できなかった。私は何も言わずに、頷いた。

転機は、YouTubeとの出会いだった。私は大学に入学した時点で、メイクの「め」の字もわからなかった。さすがにまずいと思い、美容系YouTuberの動画を参考にメイクの勉強をし始めた。
動画の中の彼女たちは思い思いの香水をつけ、ふわふわの部屋着を着こなしていた。けれどもまた、ビールを飲みながら配信をし、過去の黒歴史も暴露していた。
衝撃だった。性別に囚われていたのは、他でもない私だったのだ。かわいいと女の子らしさ。それらは表裏一体のように見えて、実は必ずしもそうではなかった。

「らしさ」の強要や社会の圧から離れ、完全に自由な選択をした

それから、私は日常の中でピンクも使うようになった。冒頭のアイシャドウ、Tシャツ、スニーカーは、今では私のお気に入りだ。「かわいい」と言ってもらえるし、今までのコンプレックスが吹き飛ぶくらい、その色は私を励ましてくれることに気がついた。

誰しも、自分を表現したい形がある。それは強さかもしれないし、かわいさかもしれない。あるいは両方かもしれないし、どちらでもないかもしれない。いずれにしても、誰でも思うように生きられたらいいと思う。
もちろん障壁はあるかもしれない。けれども、男らしさや女らしさの強要、社会の圧が、それを妨げるようなことはあってはいけない。
そして、私はピンクを選んだ。それはらしさの強要や社会の圧から離れて、完全に自由な選択だった。ピンクはかわいい。けれども、その色は女らしさの象徴ではない。誰にでも、ピンクを纏う権利は与えられている。それに気づくことができたから、今の私があるのだ。

最初は不自然だったメイクも上達して、人に褒められるほどになった。最近、気づいたことがあった。女らしさに囚われているように見えていた母は、ほとんどメイクをしないのだ。
「だって、面倒じゃない?」
そう言ってのける母の顔はすがすがしく、何よりも自由に見えた。