私が捨てられないもの。
それは「自責」である。

周囲の期待に応えてきた「優等生」だけど、いつも焦燥感がある

漫画「東京喰種トーキョーグール」のワンシーンにもあった、「この世のすべての不利益は当人の能力不足で説明がつく」という無慈悲な言葉。
私はこの言葉が大好きで、大嫌いだ。

父が東大卒の官僚、母は専業主婦、いわゆる男尊女卑でモラハラの家に育った。
父と母のそれぞれが、自分の苦悩・叶えられなかった希望を私に押し付けた。
ここでいわゆる「親の期待」をスルーできる子供、全部引き受けてしまう子供でその子の人生が大きく変わってくるのであろう。

さて、そんな親のプレッシャーをかけられまくった私は、いわゆる優等生人生を送ってきた。
成績は学年1位、国家資格合格、大手企業勤務、大手ファッション誌モデルオーディション合格……。
できることは全てやってきた。

しかし私は、いつも焦燥感に満ちあふれている。
常に周囲の期待に120%応えてきた。
しかし、大人の社会には正解がない。自分で答えを見つけなければいけない。
「正解」を見つけようと相対評価の海を泳げば泳ぐほど、自分の努力だけではどうしようもない荒波に溺れてしまう。

SNSの発達で、必要以上に自分を責める人が増えたのでは

その代表例が「恋愛」である。
私は特別美人ではないが、美容に100万以上かけているし、男性に困ったことはなかった。
しかしマッチングアプリが台頭し、最低限の礼儀がない男性が増加していると感じるのは私だけだろうか?
面倒なことがあればLINEは既読、お別れはいきなりブロック。
相手の容姿・学歴・キャリアにこだわらず、真面目で一途な女性ほどバカをみるハメになった。

「結婚」。それはいつの時代も、女性にとって重要なライフイベントである。
ただ、女性のキャリア進出、自由恋愛の発達など様々な側面で社会のあり方が変わり、必ずしも結婚する必要がなくなった。
一方で、SNSで他人の暮らしが「見える化」したことで、自分と他人を比べ、必要以上に自分を責めてしまう自責ピープルも増えたのではないだろうか。

私はよく夜眠れない。朝の4時まで正解のない自責を繰り返している。
お酒を飲みながらお菓子のやけ食いもたまにしてしまう。
きっと寂しいのだ。
この埋められない孤独と将来への不安で泣きそうになる。
私の何がいけないんだ。どうすればもっと愛された?
そうやって落ち込んで自責して、結局自分に酔っているのだ。
こんなに頑張ってる「可愛くて可哀想なワタシに」。

「何がいけなかったのか」と自分を責めることはやめられないけど

自己肯定感なんて簡単には手に入らない。
あらゆる手段を尽くしたけど私には無理だった。
でも、不安・焦燥感は、向上心の裏返しである。
己の努力で築き上げてきた結果・実績・信頼・友愛もあるじゃないか。

「自責」は捨てられない。そもそもしない人はいないのだ。
メタ認知を鍛え、自己陶酔自責ピープルにならないよう、「自責」を上手く乗りこなしてのし上がる。
できるよね?私も、あなたも。
一緒に望む未来の向こう岸まで泳ぎ切ろう。
振り返ればきっと気づくはず。LINEの返信に悩んだ時間も、洋服やデパコスを買ってワクワクした時間も、1人で泣いた夜も、全部無駄じゃなかったって。