私は学生時代、優等生だったと思う。順位が出る試験では毎回上位10%以内を維持していたし、成績表だって苦手な体育以外はほぼ最高評価だった。
今思えば学校のテストは、お手軽な成功体験ゲット手段だったと思う。
課せられた宿題をこなし、言われた範囲の勉強をする。そんな簡単なことで「点数」「順位」が決まって、大人からの賞賛と同級生からの尊敬を受けられるのだ。
就活で重視していたのは年収。転職先の条件も年収だった
新卒の就活で企業を選ぶ際、私は「年収が高いかどうか」を重視していた。私の親しい友人も元優等生なのだが、彼女も企業の選び方が「就活偏差値が高いところ」だったそうだ。
私たち元優等生は就活でも、学生時代の優等生的感覚が抜けていないことがよく分かる。
でも、仕方がないと思う。だって、今までの人生のほとんどを優等生として過ごし、他人から言われたことをやっただけで「頭がいい」だの「努力ができてすごい」だのという肯定的な他者評価を受け続けてきたのだから。
高校も大学も偏差値で選んできて、いまさら「社会人になってやりたいことは何か?」という指標のない問いに突き放されても分かるはずがない。
そんな正解のない「就活」において、私にとってはお金が、友人にとっては就活偏差値が、自分の進路の判断基準として分かりやすい指標だったのだ。
そんな選び方をした結果、私が入社したのは誰もが知る大手企業のグループ会社(東証一部上場)だった。しかし、正しい自己分析ができていなかったがゆえにミスマッチを起こして1年で辞め、その後は派遣の仕事を始めた。
「派遣だなんて、プライドを捨てられたのか?」と思うかもしれないが、違う。
面接時に提示された年収が、同世代の平均年収より高かったのだ。
自己分析の足りていない就活に懲りたにも関わらず、そのときもやっぱり「お給料(=自分の点数)」が平均より高いという条件が譲れなかった。
悩める答え。自己分析の末に私が出した答えとは
私は今、転職活動中だ。「今回こそは、自分が本当にやりたいこと・できることをちゃんと見極めたい!」という気持ちで、学生時代とは違う“能動的な”勉強をしている。
世の中の勉強をするにつれ、どんなに頑張ってもお給料が上がらない業種もあれば、商材的に利益率が高くて給料が上がりやすい業種もある、ということも分かった。「お給料は自分に対する点数じゃない」ということをきちんと理解できた、つもりだ。
ちなみに転職理由は、今の仕事ではお給料が上がる見込みがないから。このままだと給料は数年後に同世代の平均以下になってしまい、年齢的に転職も難しくなる。だから、スキルアップすることで給料が上がっていける会社に転職したくなったのだ。
……またお金という動機で転職をするのか……と自分に呆れる部分もある。
でも、きちんと勉強や自己分析をして自分に向き合った結果、やっぱり私は「自分の選択が“正解”であるという分かりやすい指標が欲しい」という優等生気質から逃れられないということに気が付いた。
結局お金、結局優等生。でも、それでいい。
優等生時代とは違って、誰にやらされるでもなく自分で考えて出した結論なのだから。