大学が辛い。
「就職に有利そうだから」という理由で何となく入った学部を、1年生の秋頃には既に辞めたくなっていた。

理由は単純で、興味が1ミリもないから。全く興味のないことをやり続けることがどれだけ苦痛か、当時の私は知らなかった。しかもこれが4年も続くのだ。

「大学を辞めたい。勉強が苦痛」と言ってはいけないと思っていた

しかし私は「大学を辞めたい、勉強が苦痛」と素直に言うことができなかった。
大学に通わせてもらえているだけでありがたいことだし、文系の学部なんて遊んでいても卒業できる。ネットにはそんな意見が多かった。
医学部や薬学部、実習が大変な看護学部、理系の院生。持病がある人。生活が苦しくてバイト漬けの人。
そういう人しか「大学が辛い」と言ってはいけないと思っていた。

それに、私にとって勉強は楽しいものでなくてはならなかった。苦痛でたまらないものをやり続けているという現実を認めたくなかったから。
いつか勉強が好きに、得意になれるはず。そんな幻想を抱き続けていた。

しかし最近、ある言葉を聞いた。
「感情は嘘をつかない」
薄々わかっていたが、ストンと腑に落ちた。
嫌なものは嫌なのだ。10年以上嫌いだった勉強を、あれこれ工夫したけど未だに好きになれない勉強を、ある日突然好きになれるわけがない。
もちろん好きになれることはあるだろうが、それは結果であって、初めから無理矢理好きになろうとするのは歪んでいるのだ。
私は「勉強を好きになりたい」ということに拘るあまり、自分の素直な気持ちを抑圧していた。
ネガティブな気持ちになることを避けたくて、苦痛な勉強から逃げていた。
それは「本当に勉強を好きになれるまではやらなくていい」という逃避だったのかもしれない。

ネガティブな感情は悪いものではなく、向き合えば前向きにも変わる

ここからが大事だが、ネガティブな感情を認めても選択肢が狭まるわけではない。勉強が嫌いなままでも勉強をすることはできる。嫌いなのは変えられない事実として、「嫌いだからやめる」「嫌いでも続ける」「嫌いだから距離を取る」という行動は自分で選べるのだ。
間違っても「嫌いだけど無理矢理好きになろう」としてはいけない。
これに気づいてからは、「勉強苦痛だけど、それはそれとして卒業のために頑張ろう」と思えるようになった。ようやく諦めがついたのだ。

これは何にでも応用できて、
「仕事が辛いけど、あと1年はやり遂げることにした」
「親が嫌いだから、離れることにした」
「人生は辛いけど、生きることにした」
などと自分の中で宣言することで覚悟が決まり、かえって前向きに生きられるようになる。
ネガティブな感情は決して悪いものではない。それがありのままの感情なら、大切にして向き合った方がいいのだ。

余談だが、某TV番組によると「恐怖を感じる状況でも、20分を超えるとあまり怖くなくなる」らしい。
恐怖とは少し違うが、私も苦痛を感じることをとりあえず20分やってみたら、だんだん慣れてきて最後までできた。

なかなか手をつけられないことがある人は試してみてはどうだろうか。