拝啓

最近、連絡をよこしていないが、元気にしているだろうか。
私が大学院の修士課程を修了してから2年と半年は経った。一般的に、博士課程は3年で修了するという。月日の流れは早いもので、順調に進んでいれば、あなたはもう、博士論文の執筆に忙しい時期だ。

あなたの研究は素晴らしいものになるから、とにかく期日までに論文を書き上げてほしい。あなたの博論の内容は知らないが、これだけは胸を張って言える。
なぜなら、あなたは研究者として優秀だからだ。
あなたの論理展開には死角がなく、着眼点も独創的だ。それらを裏付ける深い知識もある。

以前、ある論文について意見を交わした時に、あなたは自分の直接の専門分野ではないにも関わらず、間髪入れずにスラスラと答えた。研究対象への知識のみならず、関連分野の末端まで資料を大量に読み込み、血肉としなければ、できるものではない。
それにあなたは、要領よく論文や資料を読むことができて、おまけに記憶力が良い。だから、新しいことをスポンジのごとく吸収して、自分の研究を充実させることができる。あなたにはそういう強みがあるから、自信をもって取り組んでほしい。

わたしたちはすぐに仲良くなれたけれど、それが理解できなかった

いまここで告白しよう。
私は、そんなあなたを尊敬した。羨ましかった。そして、憎くもあった。
あなたを見ていると、自分の至らなさが目に見えた。ゼミでの経過報告を発表するときに、私は先生からのダメ出しで総攻撃を受けている一方で、あなたは先生から一目置かれていた。この露骨な対比を目の当たりにするたびに、あなたに嫉妬し、自分は今まで何をしてきたのだと、自分に腹を立てた。
がむしゃらに研究を進めても、あなたははるか先を突っ切っていた。あなたの研究経過報告を聞くたびに、自分のやってきたことがゴミを生産しているだけに見えてしまった。
そのくせ、あなたは私のことを対等に見た。研究以外の話題で話が合うことが多かったので、わたしたちはすぐに仲良くなれたのだ。

だが、それが理解できなかった。私はあなたより劣っているのに、なぜあなたは私を軽蔑しなかったのだろう。一方で私は、いっそのこと軽蔑されていたほうがどんなに楽か、と考えることもあったのに。
修士課程の2年目に入って、あなたは私に、博士課程には進まないのか、と問うた。そのとき私は、お金がないから進まないと言った。
これは嘘ではなかったが、解答としては半分正解だった。もう半分は、私はあなたの才能を前に、すっかり怖気づいたのだった。

研究を続ける自信をなくした。お金を口実に、研究の世界から逃げた

あなたと比べて、私は全てにおいて劣っていたけれど、私は研究が好きだった。研究は地道な調査の連続で、苦しい。だが、その苦しみの中で一筋の光明を見つけて、僅かな発見があったり、仮説が立てられたりするあの快感が味わえるからだ。

しかし、修士課程2年目に入る前から、私は、あなたのような猛者を相手に、研究を続けていく自信をなくしていた。元々、学業を続けるにあたってのお金の心配から、お金を稼ぎたいという気持ちもあったので、その気持ちにすがって、お金を口実に研究の世界から逃げたのだ。
こんなことをあなたに伝えるのは、正直恥ずかしい。卑怯だとも思うが、それを承知でこの場を借りて、こっそり手紙を書くことにした。

あなたに手紙を書くことで、自分の気持ちを整理したかった

ではなぜ手紙を書いたかって? それは、かつての私と袂を分かち、前を向いて新しい人生を歩むためだ。あなたに手紙を書くことで、自分の気持ちを整理したかった。

卒業時、こんな挫折程度で逃げ出すのだから、私にはもともと研究への覚悟も情熱もなかったのかもしれない、と気づき、完全なる負け犬を自覚した。心にぽっかり空いた穴に負け犬が住みついた。なす術もないのに、擦れてボロになった矜持を保つためにしばらく負け犬を認めないようにしていた。

しかし、時というものは残酷で、そのような喪失感も、悔しい気持ちも風化しつつある。心の中にいた負け犬のことすら、忘れかけている自分がいる。
自分の矜持すら忘れてしまう、そう思って風化に抗っていたが、もうそれもよそう。卒業から三年目、就職もした。そこで背負った責任や、やらねばならないことが徐々に増えてきている。
やりたいこともできた。もうひとりでに新しい人生が回っているから、そろそろ後ろを振り返るのはやめなければ。
いつかまた、連絡をよこそう。その時は、昔とは違う私を見せられたらいい。そのときまで、しばらくはさようなら。

かしこ