看護職のほとんどの人が、インシデントというものを起こしたことがあると思う。
インシデントとは、検査や処置などの患者誤認や入院中の転倒など、治療中の患者への不利益が生じた事態をさす。ちなみに、インシデントによって患者の状態が急変するなどの事態が起きた場合はアクシデントと言われ、いわゆる医療事故の分類に値する。
あまり声を大きくして言ってはいけないが、私もレポートを義務付けられるレベルのインシデントを10件以上起こしている。

間違いがあってはならない医療現場でも、人は必ず間違える

医療は絶対、間違いがあってはならない、それは今も昔も、大病院でも小さな病院でも変わらない。
しかし、一方で人は必ず間違えるものでもある。鳴り響くナースコールの中で、ふらふら歩きだす患者の歩行を支えられる要員が足りないことなどよくある。結果、転倒されて骨折を起こし、入院期間が延びたり、頭を打って後遺症が残ったりすることもある。
実際にそれが原因で私も一度医療を離れた期間がある。そして、それが原因で、尊敬する友人が、何人も辞めてしまったことも知っている。

インシデントを起こした日は決まって、大好きな動画を見る気にはなれないし、友人が誘ってくれたお酒を飲んでも心が晴れない。居場所がなく、布団の中に取り残された気持ちを抱えたまま朝を迎える。
どうすればよかったのか、その答えを自分で探すと、点滴を後回しにして、先にあの部屋に行って、でもそうすると点滴が遅れるからそれもインシデントにつながって……、という堂々巡りを繰り返している。
正直、今まで起こしたインシデントは、今も鮮明に覚えているし、これからも忘れることはできない。

医療安全という理想と、個人の「確認を徹底」に終着する現実

医療安全という科目を看護学生は必ず習う。私が就職していた病院では、初任者研修や年内の研修でも毎年、医療安全を勉強し直していた。
そこでは、「インシデントは個人のミスではなく、システムの問題だ」と必ず書かれていた。ヒューマンエラーは当然起こるものであり、それを減らすために個人は確認作業を行い、確率を減らす努力が必要である。しかし、個人の確認作業や努力だけでは、起こさないことはできないとも書かれていた。
現場は全く正反対だ。教科書に載っていた、「このインシデントはあなたのせいじゃないよ」などと言ってくれる天使のような人は、少なくても私の病院には存在しなかった。
インシデントが起こる前から指摘されているシステムや構造の問題は、費用の面で排除されるのに、個人の問題は、“確認を徹底”などという常にやっていることに終着して終わりにされてしまう。

緊張感を持つ大切さと同時に、医療者も人間だと知ってほしい

もちろん医療ミスは絶対にあってはならないという大前提は、間違っていないと思う。家族や大切な友達の命が脅かされることは、想像しただけで怒りを覚えてしまう。
医療ミスのせいで死が訪れたり、寝たきりになってしまったりする人もいるのは確かである。“失敗は許されない”という緊張感は看護師のみならず医療者全員が持ち合わせるべき心意気である。
同時に、医療者が人間という弱いものであるということも、どうか広まってほしいと考える。インシデントを起こした人もまた、眠れない夜をいくつも過ごし、心がすり減っていく感情を抱えながら明日を迎え、働き続けなければならないことを。