母は高校を卒業してすぐ、企業の一般職として働きはじめた。そこで生涯をともにするパートナー(つまり、私の父)に出会った。
就職してから4年目、22歳で結婚して寿退社。26歳で第一子を産んだ。それが私だ。
この夏、私は27歳になる。記憶の中に朧げにある「母」の年を、もうすぐ追い越そうとしている。

26歳の私はまだまだ子ども。26歳の母は私を産み育てていた

子供のとき、繋いだ手を辿るように見上げると、「母」がいた。
とても大人な感じがして、いつでも守ってくれる存在として心強く見えていたけど、今の私とさほど年齢が変わらない人だったなんて、なんだか変な気持ちになってしまう。

アルバムを見返すと、出産を終えた母が赤子を抱いている写真がある。
少し髪の毛が汗ばんでいて、疲労の色も見えるが、満足げな笑顔で写真に写っている。私にそっくりの顔の女だ。遺伝子とは不思議なものだ。

母の時代は、女性の年齢がクリスマスケーキに例えられていて、25歳でギリギリ、26歳をすぎると売れ残りだと言われていたらしい。
実際に26歳になったけど、思ったよりも全然子供だ。もちろん社会に出たので人生経験は積んでいると思うが、内面が成長したかと言われるとそうでない。

今でもアイスの棒に当たりが出ると狂喜乱舞するし、ゲームのやりすぎで徹夜して翌日絶望するし、つまらないことで喧嘩して後悔するなんてことも山ほどある。
まだ大人になりきれていない中途半端の時期を、母は子育てに一生懸命だったんだろう。父はなかなか家に帰ってこない人だったので、26歳の女がほぼひとりで育児をしないといけなかった。
すごく残酷だと思う。「ワンオペ育児」なんて言葉は当時はなかった。当時の母の孤独を思う。

母はその後、家事育児に精を出し、父親からもらう生活費でやりくりをする専業主婦をしていた。結婚するまでの腰掛けの就職だったので、職場復帰はしなかった。その結果、子供の受験や交友関係に過剰に干渉する親になった。

よく二人でケーキを食べにいったり、洋服を選びにいったが、それは母にとって世界が「娘」しかなかったからなのかもしれない。結婚を機に、寿退社をし、出産からは「アンナちゃんのお母さん」になってしまった母は、22歳から自分の人生を歩けなくなった。

母の時代と今は違う。母とは異なる人生を私は歩む

育ててもらった母親に対して、「私はこうはなりたくない」と思う。
40歳になっても50歳になっても、家族以外のコミュニティに所属して、自分でお金を稼ぎ、好きなランチを食べ、新しいことをギュンギュン吸収して成長していくチャーミングな女性になりたい。

母はもう自分の人生を諦めていて、母にそっくりな容姿に生まれた私に投影して、思い描いていた人生をやり直ししようとしているように見える。
それがすごく、申し訳ないし、悲しい。

私たちの時代は変わって、もう女性の平均初婚年齢も29.1歳になった(厚生労働省「令和元年(2020年)人口動態統計月報年計(概数)の概況」による)。
時代が変わっていったことを実感する。
「女は子供を産むのが幸せだからね」なんて暴力的な言葉をかけられることは時々あるけど、「ああ、おじさんがなんか言っているな」くらいにしか思わなくなった。

願わくば、「無痛分娩」が当たり前になって、ぺことりゅうちぇるみたいな二人で育児をすることが当たり前になって、電車内でベビーカーを押しても暴言を吐かれない世界になってほしい。
男性の育休取得が当たり前になる世界になってほしい。女性が安心して出産できる時代になってほしい。マタハラしてくる不届き者は断罪して、出産と育児と仕事を両立できるようになってほしい。

結婚しているのに関わらず、ほぼ女手一つで私を育てた母を尊敬している。
だからこそ、母のようにならないのが最大の恩返しだと思う。