夢はファッションデザイナーからベストセラー作家、美術屋さんへ

人生で、一番最初に持った将来の夢はファッションデザイナーだった。3歳の時、保育園の誕生日会か何かでそう発表したのを、何となく覚えている。
当時から全くもってお洒落だった訳でも何でもなく、恐らく好きだったお絵描きの延長からきた夢だったのだろうけれど、小学生になるくらいまでは確かそう言い続けていた。途中インテリアデザイナーになったような気もする。

その次、小学生になってからの将来の夢はベストセラー作家になること。本を読むのが大好きなのと、国語の授業で短い小説もどきを書いたのが楽しくて、そこから高校生になるまで、文集や卒業アルバムにもずっとそうやって書いてきた。
でも次第に現実を見るようになると、部活やインターネット上で書くだけにとどめておいた方が良い気がして、段々筆を取ることもなくなっていった。

今まで掲載していただいたいくつかのエッセイにも書いたけれど、私はバリスタをしている。そのために紆余曲折あって高校に編入したり何だりあったわけだけれど、その前にもう1つだけ、私の人生の選択に大きく関わる夢を持っていた。

それはテレビ番組やドラマのセットを作る美術屋さんになること。きっかけは父の昔の仕事にあった。

資材屋さんだった頃の父の話を聞き、美術屋さんに惹かれた

高校2年生になった頃。何だか自分の置かれている状況がしっくりきていなかった私は、父と将来の話をする中で、今までどんな仕事をしてきたのか質問してみた。
私が生まれる前は東京や広島に住んでいて、喫茶店をやっていたことは知っていたけれど、他には何をやっていたの?と訊くと、美術屋さんに資材を卸す資材屋さんをしていたという。大きなバンに母と共に資材を乗せて、テレビ局やスタジオに資材を運んでいたそうだ。

資材屋さんだった頃のエピソードを聞いているうちに思った。
昔なりたかったファッションデザイナーではないけれど、ドラマのセットならインテリアコーディネーターの真似事ができるかもしれない。大きなセットを建てるときは建築っぽいことが。細々やっていた色彩検定の勉強や、中学生の頃美術部で得たものも活かせるかもしれない。うん、美術屋さん、いい。

それで一体どうすれば美術屋さんへの近道になるのか調べたところ、どうやら美大に進学するのが良さそうで、父にも訊ねてみると、当時知り合いだった美術屋さんは多摩美大出身の方が多かったらしい。

ここで私はとてつもなく大きな問題に直面する。
まず、通っていた地元の進学校から美大に行くのは、専門の美術の先生もいなければ、試験対策のノウハウもない環境なので、ほぼ不可能であること。美大へ行くための試験にはデッサンやデザインの技術が当然必要不可欠だが、そもそも画塾へ通うお金がないこと。そして何より高校2年の夏からでは、全てが遅すぎるということ。

お金のことは、奨学金やこっそりアルバイトをすれば何とかできたかもしれない。けれど、基礎から始めるための時間や、美大に受かるための才能は、お金ではけして買えない。悲しいかな、美術屋さんになる夢は早々に道を絶たれてしまった。

好きなことは1つに絞らない。全ての決断に間違いはなかった

でも落ち込む私を、当時まだ彼氏だった主人が小さな珈琲屋さんに連れて行ってくれた。そこで私はこれまでの人生で一番美味しい衝撃的なカフェラテに出会って、勢いに任せて彼とコーヒーの専門学校のオープンキャンパスへ。そこでもカフェのオーナーになれば店の内装やインテリアコーディネートは自分で出来るという話を訊いて、それならと入学を決意。
唯一想定外だったのは、自分で思っていたよりもコーヒーの世界にどっぷり浸かってしまったことだろうか。

バリスタの仕事が安定した頃、また絵を描くようになった。仕事にはできなくても、好きなことを1つに絞る必要はないと思ったから。
細々描いて、描き続けていたら、昔お世話になった珈琲屋さんから依頼をいただけた。コーヒーのパッケージのデザインを、ぜひお願いしたいと。コーヒーのことをきちんと分かっている子にお願いしたかったから、と言ってもらえた時は泣きそうだったのを覚えている。

そうして少しずつ絵のお仕事をいただけるようになった頃、また文章を書きたいという気持ちが芽生えた。
そんな折に偶然インスタでかがみよかがみのエッセイ募集の記事を見て、夢中で1本書き上げた。初めてのエッセイが掲載された時、両親や姉、友人から想定外に反応を沢山もらえた。母が感動して泣いていたと、父から電話があった時はちょっと照れくさかった。

結局私はファッションデザイナーにも、ベストセラー作家にも、美術屋さんにもなれなかったけれど。それでも、たった1杯のカフェラテで人生が180度変わって、「大好き」を仕事にできた。
好きを諦めなかったから、イラストレーターになれた。
夢を忘れなかったから、こうして今エッセイを書いている。

どんなに沢山失敗しても、どんなに小さな成功でも、これまでしてきた選択と決断があってこそ。これまでの全ての決断に、間違いなんて1つもなかったのだ。
そしてこれからもきっと。