障害福祉の世界に入ったのは、「決断できた」から

人生は決断の連続だ。進学、就職、転職、引越し、結婚、妊娠出産など決断しなければならない窮地にいつも立たされている。それはまるで迷路のように。

私は介護職員として働き始めて3年半になる。
前は高齢者介護で色々な施設にいたが、今は派遣で障害者施設で働き、日雇い派遣では高齢者介護の仕事もしている。高齢者介護を究めていた私が障害福祉の世界に入ったのは、今思えば私が決断出来たからである。

今の職場で働き始めて1年半が経つ。2020年の8月私は勤務していた特別養護老人ホームから解雇通告された。
理由は欠勤の多さである。急に身体が鉛のように重くなり、出勤が難しい日が増えてしまったのだ。原因はわからず、子供を保育園に送迎しては酒を煽り、寝ている日が多かった。
仕事が無くなるとわかると事の重大さに気付き、急に真面目になり毎日求人を読み漁った。
しかし、求人を読み漁っても魅力的なものはなかった。理由は給料だ。

私は解雇になった特別養護老人ホームでは入浴介助専従で、時給は1400円だったからだ。そしてもう1ヶ所派遣で勤務していた介護老人保健施設も時給は1300円だったから、介護職で時給が3桁でも1000円代でも納得がいかなかったからだ。

障害者施設の利用者は、穏やかで賢い人ばかりだった

そして私は別の派遣会社に登録することにした。
ヒアリングでとにかく自分の希望は言った。コロナが流行し始めた時期だったので、職種は問わず流れてきた案件はとりあえず「喜んで」の精神でいた。
派遣に登録して3日後くらいには大手介護老人保健施設の案内が来たが、施設側の担当者と連絡が取れず白紙に。その代わりに来た案内が今の障害者施設である。
場所は電車でも自転車でも行ける距離で、勤務時間や日数も希望通りだった。ただ、障害者施設という施設形態だけが引っかかった。やったことがないジャンルで、高齢者介護を希望していた私には良い印象はなかった。

しかし、せっかくのご縁でコロナが流行している今、仕事に就ける事は有難いことと、文句を言っている立場ではないので、面接に行くことにした。
職場の印象は、障害者施設が初めてだったので小規模でアットホームでどこか安心だった。面接が終わり派遣契約を結んだ。

働く前は、利用者さんからの暴力や癇癪などについていけるか不安だった。しかし、実際に働いてみて、暴力や癇癪などは皆無に近く、親御さんから充分な愛情を受けているような穏やかな素直で賢い人達だった。
年齢層は幅広く、初めは中年の利用者さんに対して私はとんでもない偏見を抱いてしまっていた。年老いてゆく親御さんを苦しめる存在と、彼らの事を悪者として見ていた。私は働いてゆく中で純粋かつ頭の回転が速い彼らの姿を見て、自分の子供の事を思い出した。

学生時代、私が特別支援学校の教員になりたかった理由

小学校1年生になる娘がいる。日に日に口が達者になり、イライラする日が増える。周りは成長だというが受け入れられない。
その点、知的障害のある彼らは、年はいっても精神的な成長はゆっくりだ。だからこそ親御さんにとってはいつまでも可愛い子どもでいれるのかもしれないなと思った。
純粋な彼らと接していると、私はある事を思い出した。学生時代就きたかった職業について。

私は学生時代に特別支援学級の子と接する機会が多かった。先生がたは彼らの特性を理解するような姿勢で接しており、彼らが過ごす教室は普通学級の教室とは違い、悪口やイジメもない美しい場所という印象だった。
その子らしく過ごせる安全な場所を守りたいという気持ちが湧いてきた。だから私は、特別支援学校の教員になりたかったのだ。

形は違うが障害者支援という職に就けた。私はこの決断をした事で夢を叶えた。職場の社長や上司達は愛情が深く、色んな視点で彼らや親御さんを理解出来る。
私はこの決断をしたから夢を叶えられた。派遣職員としての勤務だから期間限定だが、後悔がないように働きたい。